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男は女が必要(A Man Needs A Maid)

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ロンドン時代のブログとは違い、今回はお世話になった方からのお願いでもあるので、あまりフザケたことは書けませんし、前回のように予告通りに半年足らずで飽きてやめる、なんてこともできません。

 

引っ越しの回数が年齢を超え、海外生活に関しては4カ国目となり、字面の上では忙しそうな暮らしですが、一方で純粋なバカンス目的の海外旅行が一度しかなく、度重なる転勤生活の中で各地の観光名所にほぼ訪れたことがない、極度の出不精でもあります。

 

よって、ここダブリンの魅力を張り切ってお伝えしようにも、知っている固有名詞は、ともに通勤途中のRiver Liffey(川)とChrist Church Cathedral(大聖堂)の2つしかなく、地元民には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

そもそも用事がないと海外にも近所のコンビニにも動かない僕ですから、海外生活に淡い想いを馳せたりはしませんが、ここダブリンでは今までのどの場所よりも浮かれずに、平熱な毎日を送っています。

 

その理由は悪天候以外にもいくつか思いつきますが、その中の一つに「色気のない環境下」というのがあります。

平たく言えば「周りに女がいないから」です。

 

ロンドン時代はスクールメイトにもフラットメイト(ホームメイト)にも女のコはいたし、ブラジル時代は、若者たちの溜まり場になっていたストリートにほぼ毎晩顔を出していました。

 

ここダブリンでは学校に通っていませんし、指導しているサッカーチームには当然男しかいないし、フラットメイトにはリーアム・ニーソン似のクロアチア人(つまりオッサン)とブラジル人のゲイしかいません。

 

ところで、人間が従事する社会活動において唯一「経営」より面白いことが「教育」だと思っている僕は、長いことサッカーのコーチをしてきました。

対象の年齢幅は広く、上は現在のシニアチーム(18歳以上、最年長が35歳くらい)から下は1歳半まであり、性別に関してはママさんチームを教えたこともあります。

 

幼稚園児のカテゴリーをいくつか並行して教えていたときに気付いたのですが、男の子だけのチームよりも女の子が数人混ざっているチームの方が、男の子の言動がカッコ良く、チーム全体もまとまります。

 

また地域の少年団を教えていたときには、選手のお母さん方が熱心に練習を見守るチームのコーチたちの方が、そうでないチームのコーチたちに比べてしっかり働く、ということを学びました。

 

つまり、いつでも女性が男を育てているんだと。

 

ちなみに中間の性の人たちに関していえば、ありがたいことか否かは置いといて、洋の東西を問わずゲイに恵まれてきた僕には、東京にも愛すべきおホモだちが一人います。

 

数年前、とある会社で夜勤の副業をしていたのですが、深夜という時間帯が関係していたのか、そこは十数名いた従業員の全てが男という職場でした。

 

組織風土が緩かったので、みんながデスクにもたれかかって寝落ちたころに、僕は一人で読書を楽しんでいたのですが、シフト制で週一回、そのホモだちが僕の隣に配席される曜日だけは彼(彼女)とのおしゃべりを楽しんでいましたし、その日は他の曜日に比べて、始業時間から仕事がはかどる曜日でもありました。

 

五厘刈りでかなりの高確率でタンクトップ、彼(彼女)の言葉を借りれば「ガチムチ系」の、見た目はモロな男ですし、僕自身も根っからの女性愛好家ですので彼(彼女)にピンク色の想いを抱いたことは皆無ですが、しかし実際の自分の気持ちの充実を思い返せば、あながちゲイも蔑(ないがし)ろに出来たもんじゃないという感想に落ち着きます。

 

ということは今のフラットメイトであるゲイのブラジル人が、いかに小っちゃくしたサミュエル・L・ジャクソン感を出してても、やはりジェントルマン然としてレディーな扱いをしたいところです。

 

惜しむらくはバイに転向できるような気持ちの広さも頭の柔らかさも僕が持ち合わせていないところですが、こればかりは硬派な男ですので、この先も女性一筋でいきたいと思います。

 

ちなみに前述の職場での仕事中、生殖器みたいな形の彼(彼女)の頭を撫でながら

 

「今日の髪型かわいいね」

「ちょっとー セクハラ―」

 

などとクソみたいなじゃれ合いをしていた僕ですが、あまり調子に乗ると、夜勤明けの大江戸線で、ド深夜の居酒屋の男子会でも言わなそうなドス黒い下ネタを、車両半分くらいには聞こえるくらいの声量で聞かされる羽目になります。

 

「だからー、そのリングにまずサオと玉の片方だけ通してー・・・聞いてる?」

 

朝9時すぎ。

そこ、小っちゃい子もいるって。

 

などと脇やコメカミから不健康な汗を垂らしていた僕は、頭が固いだけでなく、気が小さく、彼(彼女)に比べたら実にバイタリティーに欠けた人間だということ思い知るのです。

 

初心に帰って謙虚になるためにも、マイノリティーの活力に触れるのは意義がある、というのは考えすぎでしょうか。

 

考えすぎだな。

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