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自然、この上なく不便で堂々としたもの 2

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初対面の相手でも、ある程度の時間を話せば、表情やその話し方で相手が天然かどうかを嗅ぎ分けることが出来ます。

 

第一関門で、彼女は「クロ」でした。

 

ろくに英語もしゃべれないのに「コールセンターの仕事を探している」あたりにもポテンシャルを感じます。

 

連絡先を交換しようとしたときには、「最近、スマホ壊れた」ということが分かり、その辺りのディテールにも抜かりなさを感じましたが、SIM無しのスマホしか持っていなかった僕もあまり偉そうなことは言えず、頼まれたのでFacebookのアカウントをテーブルにあったコースターに書いて渡してあげました。

 

さて、女のコの「アホ」と聞くと、少なくとも日本国内の一定数の層の間では「天然=かわいい」という免罪符をもって、重宝がられている嫌いがありますが、本物の天然は「ブッているだけの紛(まが)い物」とは大きく異なり、様々な「かわいくなさ」を持ち合わせています。

 

まず、笑い方が汚い。

 

もっと行くと、言葉が汚い。

 

「見ている分には楽しいけどガッツリはちょっと」な天然には極力気をつけていたにも関わらず、かくいう僕も過去に一度だけこの種の女性とお付き合いをしたことがあります。

 

詳細は省きますが、波乱万丈系の本を書かせたら全10巻で出版できそうな、なんとも肉付きのいい人生を送ってきた彼女は、あいさつ代わりと言ったらなんですが、高校を4年かけて卒業しています。

 

首都圏に住んでいるのにもかかわらず、一緒に国立競技場にサッカーを観にいった20代後半当時、「10年ぶりに電車に乗った」と言っていました。

 

ちなみにその電車の窓から野良犬を見つけたときには、唐突に

「わっ!犬だ!」

と叫んでいました。

 

「見て見て。犬だー」

ではなく

「わっ!犬だ!」

です。

 

誰もが見慣れた物や現象に対して分かりきったコメントをすること自体は、そんなに非難されるべきものではないでしょう。

例えば「今日も暑いですねえ」とか「うわー、道、混んでるねー」とか。

これらは挨拶や会話の切り口、または話の隙間を埋めるのに一定の役割を果たす常套句として扱えます。

 

ですが、彼女の

「わっ!犬だ!」

は、何ならその数時間後にベッカムを見たときより十分にテンションが高く、まるでなかなかの犯罪を目撃してしまったような、テンションの高さだけで言うなら、ガスの元栓閉め忘れどころか火を点けっぱなしだったことを外出中に思い出したとき並みの

「わ!犬だ!」

でありました。

 

ちなみにこれと全く同じ種類の

「見て!雨だ!」

も乗り換え前に飛び出しました。

 

そんな魅力的な彼女の妹が不法入国のスリランカ人とデキ婚するとなったとき、父親がおらず、母親は主に入院中であったため、彼女の家庭の父親代わりとして、僕が家族会議を仕切ることになりました。(この僕仕切りの家族会議はちょいちょいあった。)

 

メンバーは僕と彼女と妹カップルの4人。

 

ちなみに彼女のみならず、妹もちょっとアレなのか、僕が彼氏のスリランカ人に本名を尋ねたその時まで、実名を知らなかったそうです。

 

僕「これからどっちの名前で呼べばいい?本名?(偽造)パスポート名?」

彼「ドッチデモイイ」

僕「〇〇ちゃん(妹)はどっちで呼びたい?」

妹「どっちでもいい」

 

思えば「名前を付ける」、「名前を呼ぶ」というのは人間界特有の営みであって、我々人類を除く森羅万象、名前を気にするものなどこの世には存在しません。

 

ただし自然の壮大さを前に、心にゆとりを持てるのはもうちょっと年を取ってからのことで、この時は素直に「ダメだ、こいつら」と胸中で毒づいたことを覚えています。

 

さて、犬を見て「犬だ!」と叫ぶ、天然でおっちょこちょいで、何ならかなりの舌っ足らずで、「天然=かわいい」の方程式に当てはまりそうな彼女ですが、このデキ婚騒動の時にさんざん漏らしていたのは

「やだよ、だって黒〇〇の子が生まれるんだよ、気持ち悪い」

とか、他にも「汚い」とか「臭い」などの内容の、かなりの差別的な言葉でした。

 

ちっともかわいくない。

 

差別用語の使用頻度がそのまま差別心の度合いに比例するか、また「差別」と「区別」のどちらが根深い絶望を生むか、については繊細なテーマなのでここでは避けますが、外国滞在時に少なからず人種差別と区別を受けてきた僕は、その時の彼女の発言にまあまあの驚きを覚えました。

 

そしてこれは僕に対してだけ言っていたことではなく、妹にも彼氏にも堂々と使っていた言葉です。

 

そんなある日、彼女が膝下に大きなアザを作っていたので、どうしたのか問いただしたところ、妹の彼氏の友達(スリランカ人)に突き飛ばされてこうなったと言いました。

 

当時、血の気が多かった僕はこの時も反射的に「目には目を」を考えましたが、しかしよくよく聞いてみると、彼女が彼氏とその友達に向かって言った、

「おまえら、臭いから近寄んな!あっちいけ!」

というセリフが原因で起きたことらしく、彼氏が何とか間に入って事を収めたそうです。(彼氏、かなり出来た人間。)

 

そんな時の言葉のチョイスが「あっちいけ」とは実に幼稚、とかは置いといて、僕は彼女に

「ちゃんと謝った方がいいよ」

とだけ伝えました。

 

と、このように僕は自然児の素敵さだけでなく、不便さにも触れてきたわけですが、そもそも自然はいつでも人間の都合などお構いなしです。

例えば起こった現象が「辛い」だの「寒い」だの「怖い」だのといった「不都合さ」は、いつだって人間側を軸に考えた「都合」なのだ、ということを心にとどめておきたいと思います。

 

ちなみにこの後、彼氏は一時、東京入管に捕まり、箱崎だか品川だったかの入国防止施設みたいなところに入れられますが、その後子供も無事に生まれ、確か彼氏も出てこられた・・・と思う。

うろ覚え。

 

子どもが生まれた後は、何だかんだ言って彼女も自分の甥っ子を可愛がっていました。

「見て。ちょ―目がデカい。」

とか言って。

 

さて、意識をバーに戻したところ、例のフランス人はすでに隣のテーブルに移っていました。

向かいの男の子と話しながら、トートバッグの中からおもむろにメモ用紙を取り出して、何やらゆっくりと千切り始めています。

 

電話中、無意識化に意味不明の文字を羅列したり、絵をかいたりする、あれと同じ現象です。

ただし彼女の場合は千切った紙をそのまま床に捨て始めたので、隣の男の子に叱られていました。

 

いいねえ。才能あるねえ。

 

と思いながらよく見たら、その千切られた紙はコースターでした。

「まさか俺のじゃないよね」と思ったけど、ここは一つ、思い切って確かめません。

 

帰り際、「家に帰ったらパソコンからFriend request送るね」と言われて以来数日経つけど、今のところ音沙汰は無しです。

 

「縁があればまた会えるだろう」というサーファーの波待ちに似た心境でいることが、おそらく自然と上手く付き合うコツではないかと思います。