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二度あること

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プロサッカー選手を目指していた僕は、二十歳の誕生日をブラジルで迎えました。

あの当時の「外国」は本当に「外国」で、通信手段は、高くて滅多にかけられない国際電話と、二か月に一通くらいのペースで届く手紙くらいのものでした。

 

何かあるたびに気軽に帰国できるようなお金も時間もなく、成人式にも姉の結婚式にも出席しませんでした。 

 

クラブ施設の食堂の前の広場で、チームメイトたちに(ブラジル流の)お祝いの生卵を頭にぶつけられながら、二十歳になったことに関して特に何の感慨も振り返りも無かったと記憶していますが、それはあの時、限られた時間と空間の中で生活をしていて、きっと生き急いでいたからだと思います。

 

控えめに見ても、生まれてから20歳までの間に、世の大多数がやらなかった経験ややれなかった希少な体験を味わえたことに、幸運を知る機会はいくらでもあったはずなのですが、あの当時は常に気持ちが焦っていて、過去を振り返るゆとりが無かったんだと思います。

 

そこから更に時をさかのぼり、僕が小6か中1くらいの冬、確か新宿三丁目の地下道で

「40は二度目のハタチだ」

なるコピーの広告を見ました。

 

確か伊勢丹の広告だったと思うんだけど、なんせ年代も季節もコピーそのものもうろ覚えなので、詳しいことは分かりません。

 

一度目のハタチにすらなっていない、粋がりたい盛りの思春期ど真ん中の僕は、そのコピーに加齢臭のような嫌なものを嗅ぎ取ったわけですが、実際に40になった今、これがあの時代の高評価に値するコピーであることを認めると同時に、おそらく過半数までとはいかなくても、多くの人が抱くであろう違和感を、やはり感じています。

 

まず時間経過の体感速度が二十歳までの20年間と二十歳からのそれとでは全然違うということ。

あくまで僕を主語に考えていますが、これは過半数の支持を得られるでしょう。

 

次に充実度の違い。

二十歳からの20年間の方が酒の肴(さかな)になる話が多かった。

 

そして幸福感度(幸福度)の違い。

 

23歳になる直前、当時所属していたペルーの二部リーグのチームの監督から、シーズン開幕直前に戦力外通告を受けるという、青二才にはなかなかパンチの利いた出来事が起きるのですが、その翌朝、励ましてもらおうと、当時の恋人にかけた国際電話の受話口から、スペイン語、英語、日本語の順で「ただ今使われておりません」を聞かされるという、これまた体重の乗った二撃目を喰らうことになります。

 

大いにふて腐れて、クラブ施設内のプールのデッキチェアーに寝そべりながら、水面に揺れる小さな波々を眺めていたら(クビになったくせにまだ利用している)、ひらめきにも近い感覚で一つの幸福論にたどり着きました。

 

詳細は省きますが、起こった現象、事象に、「感情」や「評価」の上乗せの意図は、それ自体には無く、まんま現象、事象のみを何か(人によっては「神」)に与えられている、というものです。

 

「嬉しい」か「悲しい」かは、起こった現象に対して、後から自分で勝手に「感情」というタグ付けをしただけであって、監督からもらった通告に対しても、彼女からもらった出来事に対しても、経験貧乏性とも思えるくらい充実感や疾走感に飢えていた当時の僕からしたら、まずは現象という「事実」をもらえたことに感謝を見つけなくてはいけません。

 

ただ、あまりにも感情をおろそかにすると、達観したふりの冷めたオッサンみたいで、当時から今日まで、そうなることはあまり好きではなかったので、ある程度の幅を持つように心がけてはいますが。

 

それからというもの幸運に満ちた生活を送ってきたわけですが、その中でもかなりのウェイトを占め、今の自分の毎日を形成するきっかけになった幸運でもある、「子供にサッカーを教える」機会を25歳の時に与えられます。

 

今では当時の僕とタメ年になった、初めての教え子たちは、あの時はまだ小学5年生で、「自分の時に比べて思春期って前倒しされているのな」と思えるくらい、小生意気でかわいい存在でした。

 

ある日の練習後、教え子の一人が

「大人になったら大変なの?」

と僕に聞いてきました。

他の「お父さんコーチ」の方々が常套句の様に言った

「お前ら子供はわからないだろうけど、大人はいろいろ大変なんだよ」

という言葉を受けてのものです。

 

迷うことなく

「25までは苦労知らずでやってけるよ」

と40代のお父さんコーチたちを前に答えましたが、それに対してその教え子が「ああ、この人はまだ若造だからねえ」みたいな顔をしたので

「5年後に同じ質問をしたら『30までは』って答えてやるよ」

と言ってやりました。

 

以来、30はとうに超えましたが、記録は更新中です。

 

僕の心に残っている、初代の教え子たちの、この手の語録は他に二つほどあります。

そのうちの一つが

「コーチの青春はもう終わったの?」

というものです。

 

とっさに「まだ青春だよ」と答えた後、改めて

「ホントは、名前は付いてないけど、青春より更に一段階上の楽しいところにいる」

と言い直しました。

 

今では更に一つ二つ上のステージに来ているのではないかと自惚れております。

 

もう一つは

「コーチはどうやって(彼女に)愛を伝えるの?」

です。

 

よくわからない質問でしたが、求められている答えであるかと思い

「セックスで」

と答えると、やはり小学生、爆笑してました。

 

「お母さん年齢」という言葉があるように、僕は「指導者年齢」なるものもあると思っているのですが、真面目に答えたつもりが「マジメに答えてよ」と、たしなめられたので「じゃあ例えば?」と聞き返すと、

「例えば『好きだよ』って言ってあげるとかさあ」

と、教え子にマジの指南をされました。

 

そっかー。やっぱり言葉にしないとダメか―。

 

そんなこんなを思い出したのは、渋みや重みは全然追いついていなく、唯一追い越したのが引っ越しの回数だけである年齢が、あの時の広告に書かれていたそれと同じになったからです。

 

20年前と違って様々なコミュニケーションツールでお祝いの言葉を送ってくださった律儀で優しい皆様に、この場を借りて改めてお礼申し上げます。

 

ちなみにあの広告、念のためググってみたところ、正解したのは「伊勢丹」のみで

正確なコピーは“四十歳は二度目のハタチ。”(おしい)、

年代から計算すると、小6でも中1でもなく高校時代(おしくない)、

とのこと。

 

「一度目」と「二度目」のハタチの違いに、「記憶力」を入れておかないのは、お情けということで。

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