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女子は「女子が嫌いな女子」な男子が好きというメルヘン

極論 国際問題 マナー

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語学学校で研修中の講師たちを何人も見ていると彼らの能力の差異に気付きます。

分野は違えど僕も一応教育者、各々のコミュニケーションスキルの違いを特に嗅ぎ分けてしまいます。

 

授業の回し方の技術や細かい知識などは訓練によって培われるかもしれませんが、講師ということで気をつけていてもそこは人間、不機嫌や嫌悪が顔に出てしまう人も中にはいます。

 

そしてこれは特に女性に多く見られる傾きです。

 

以前お付き合いしていた方もそうだったのですが、日本では揶揄されることの多い「女王様気質」がここヨーロッパではレディーファーストという大義名分の元、大衆化されています。

女王を大衆とは気の利かない表現ですが。

 

もちろん程度には個人差があり、ただの「感謝不足」から「非イケメンへの差別主義」、「無差別クラス」など幅は広いですが、日本人女子の名探偵並みの気付きの鋭さと気配りのスペシャリティーに甘えてきた日本人男子である僕としては、彼女たちヨーロッパ人の前では心構えのシフトチェンジを余儀なくされます。

 

賛成はしかねますが、日本でいまだに聞くことが出来る

「美人には性格が悪いのが多い」

という定義の根拠が「美人が故に甘やかされて育った」に帰すものであれば、ジェンツに丁重に扱われてきたレイディーたちが「図に乗る」のもこの公式にあてはまります。

 

もちろん実際に「性格が悪い」とまで感じるのは日本の美人同様ヨーロッパ人女性にしてもほんの一部に対してのことで、「女王様気質」なその他大勢の彼女たちをいい意味で解釈すると「堂々としている女性たち」と言い換えることもできます。

 

女性を対象にした好きになれない言い回しのいくつかに

「ブスのくせに」

「デブのくせに」

「ババアのくせに」

という道理に合わない、しかしなし崩し的にまかり通っているセリフが日本にはありますが、これが普遍化されているというのは日本がまだまだ圧倒的男性社会だという証であるとも言えましょう。

 

ちなみにイギリスでもアイルランドでも南米でも、「ブス」だろうが美人然とした振る舞いはするし、「ババア」だろうがミニスカートをはくし、「デブ」だろうがリックドムみたいなふってえ足に、もはや本来の模様が分からないくらいパツパツな柄タイツを履かせたりもします。

リックドム - Google Search

 

いやそれは日本は周りの事を気遣う集団社会であちらさんは「まずは自分」の個人社会だからでしょ、という反対論も聞こえてきそうですが、私的な感覚で言うと女性のみならず堂々とした個人の集合体の方が社会全体が健康的で明るく感じられます。

 

ところで僕は、男の心意気とか優しさとかその人物のカッコよさを最もよく知る人間というのは、基本的にその人物の男友達だと思っています。

女性に関しても同様にその女性のカッコよさを最もよく知るのは女友達だと思います。

 

一方で男のかわいらしさを評価するのは女性だし、女性のかわいさを評価するのは男性だとも思っています。

 

整理すると

 

男のカッコよさは男が決める

女のカッコよさは女が決める

男のかわいさは女が決める

女のかわいさは男が決める

 

となります。

 

一般的に「男に媚び売って裏ではビッチな女」は、男子が好きな「女子に嫌われるカッコわるい女子」でありますが、「媚びを売る」を穿った見方ではなく、もう少しポジティブに変換して

「好かれる努力をする」→「相手が喜ぶことをする」→「気を配る」

と捉えてあげれば彼女たちをもう少し肯定的に見られるのではないでしょうか。

 

彼女たちと書きましたが「女に媚び売って裏ではファック野郎」という、男子に嫌われるダサい男子も同様に、レディーファーストなジェントルマンと置き換えることが出来ます。

 

同性から嫌われるポイントとなっているのは「媚びを売って」のところではなくむしろ「裏ではビッチ/ファック野郎」という点かと思いますが、結婚してから豹変する相手への不平不満が何の特異性を持たない社会の現状を見ると、「正体を隠して(媚びを売って)相手に受け入れさせる」ことと「嘘をつき続けられない(裏ではビッチ/ファック野郎である)」ことは我々生き物の、あるいは種の間では程度の差はあれフツーなことであって、特に過剰に反応することでもないのかもしれません。

 

その人間界も含め、ほとんどの動物界の歴史において交尾の決定権を雌が持つ中、雄たちは懸命にその外見美、機能、能力の向上に切磋琢磨し、雌たちに許可されたうえで交尾にありつけてきました。

 

ということは我々の男祖先たちは、女を口説き落とすことに成功してきた魅力という観点から見ても、後の子孫繁栄の祖となった健康面から見ても、優れた遺伝子を持っていたというわけです。

 

ここから紐解かれる一つの真理としては、何百万年の間に他の雄たちとの競争の中で、外見美や機能美のみならず性格や健康も含めた総合力に優れていた者どうしが何度も何度も淘汰されていった結果、辿り着いた種族の末裔が我々現代人ということになります。

 

つまり我々現代人の男はその淘汰によって磨きに磨かれた、ジゴロ資質の歴史上最高峰の傑作世代であり、理論上この高みは時間とともに常に更新されていきます。

 

言い換えれば我々はセックスにありつける能力に長けた種の末裔であり、スケコマシの子孫であり、女タラシのマスターであり、生まれながらのチャラ男であるということを意味します。

 

決定権の有無や人類史における男尊女卑の事情をいくらか差し引いたとしても、競争に勝ったいい男を仕留めてきたことを考えれば女性においても同じことが言え、現代の女は「雄に欲しがられる雌」の現時点での最高峰ということになります。

 

これを踏まえた上でまずは生まれた時点で既にいい男であったことに自信を持ち、チャラ男と女豹であった祖先に感謝を持ちたいと思います。

 

そしてそのうえで「男の本当の優しさというのはな」という枕詞に続いて

「言葉には出さなくてもいざという時に守ってやることだ」

という男受けのいい一撃必殺スタイルを貫くのではなく、椅子を引いてあげたり、ドアを開けてあげたり、荷物を持ってあげたりという、手数を出して印象をよくするアマチュアボクシングスタイルで女受けを勝ち取り、祖先に感謝の意を示したいと思います。

 

というような人類愛にも似た姿勢から、ちょいちょい顔を出すミートアップでも欧州仕込みのレディーファーストで女子と接しているのですが、悲しいかな元来が小心者であるせいで、とにかく失礼の無いようにという、レディーファーストをはき違えた減点法スタイルで可も不可もない言動を繰り返してしまいます。

 

エッジも利かない、パンチ力も無い、毒素も無い完璧な55点の振る舞いに徹する僕は「ナンバーワン」どころか「オンリーワン」にもなれないただの「サムワン」であり、安定した「いい人」に落ち着きます。

 

「女子力」という不気味な言葉が日本で定着して久しいですが、女子力を上げるために料理やら家事やらしぐさやら振る舞いやらに磨きをかけようと一心な女子を見るたびに

「自分のやりたいことに夢中になっている人が一番魅力がある」

よって気配りの範疇を超えた必死な媚びならやめた方がいいといった旨のことを僕は力説してきました。

 

これと似たようなもので、自分の好きなように振る舞って自分が選んだものに夢中になる、欲を言えばそれが他者のためになることであれば尚いい、その間に他人に対する少々の気配りを、異性にはおろかどうせならついでに同性にも忘れないように、という提言が我が身にも返ってきます。

 

毎度のことながら僕の意見はほとんどの小学生が答えられるような、誰でも分かりきっているザ・正論になるのですが、これも完璧な55点を目指し続けていた代償、あるいは成果でしょう。