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成功の掟

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このブログでも何度か申し上げたとおり、僕は自分のことを苦労知らずだと思って方々で自惚れているのですが、事を成し得る天才ではないので残念ながら努力の方はしています。

「努力」という言葉が悪かったら「熱中」でも構いません。

 

自分で言うのもなんですが、中一のクリスマス直前までサンタクロースを信じていたくらい根が素直で騙されやすい、あるいは影響されやすい僕は子供の頃、メディアを通した成功者達の様々な言葉に感化されて、一流のプロサッカー選手になるという夢を持っていました。

 

今のようにS.M.A.R.T.やピリオダイゼーションのような自己管理を知らなかった僕は、あの当時の超体育会系の“質より量”の超過負荷の「努力/夢中」のせいで、中学時代、練習に向かう前の自宅の玄関で、過度の疲労から靴ひもを結びながら意識を失ったこともありました。

 

また、留学資金を貯めるための工場での夜勤明けに、そのまま友人に自主練習に付き合ってもらい、その後の所属チームの練習に向かう車中で運転中に目が見えなくなり、こちらはゆっくりとブレーキを踏みながら、しかしハンドルは助手席のその友人に握ってもらう、なんてこともありました。

 

その後、ブラジルで夢破れて帰国して一切ボールにも触れない生活を送るのですが、一年後、再びサッカーを始め、更に一年後、色々な縁でペルーの2部リーグのチームと仮契約してサッカーに浸かった毎日を送ることになります。

が、これも本契約の開幕直前に戦力外通告を受け、かくして “0勝2敗”の疲労感とも充実感とも言える感情とともに第一線での活躍をあきらめます。

 

帰国後、日常の何てことない出来事なのですが、右手が塞がっていたために左手でアパートの鍵を開け、その鍵を鍵穴から引き抜いた時に手を滑らせて手元からこぼしたことがありました。

 

まだ空中にあるその鍵を拾おうと左手のアッパー気味のフックで引っかけようとして失敗、また宙に浮いたそれを再び左手でつかもうとしてやはり失敗して、鍵は地面に落ちます。

 

感化や影響の餌食になりやすかった僕は、こんな日常のよくあるミスからも

「なるほど、どうしても仕留めたいものは利き手じゃないとダメなんだな」

という感想を覚え、それを「努力の仕方を間違えてはいけない」という学びに結び付けながら落ちた鍵を拾いました。

 

僕がサラリーマンとして最後に働いた会社は、同時に最も長く在籍した会社でもあったのですが、そこにアルバイト入社した最初の月に営業成績が特筆すべきものになり、関東地区の支部長会議に特別に呼ばれるなんてことがありました。

 

そのまま半期の営業成績が他と大きく差をつけて全国トップになり、それが認められて本社に呼ばれ、他の本部長補佐たちとの出世レースを勝ち取った後に、晴れてアルバイト入社からの1年半後、異例のスピードで、中小企業ではありますが、一応上場企業の経常利益の約7割を支えている主軸事業部の本部長になりました。

 

井の中程度のチャチな優越のように聞こえますが、ポイントは、僕自身はこのステイタスを特に熱望したわけではなかったというところです。

 

実際に「格好がつかないから」という理由で会社にお願いされてアルバイトから正社員になった経緯があったり、あるいは稟議のボーダーをうろつく行動をとるときに、

「クビになっても構わない」

と、決裁権を持つ上司に公言して、漫画やドラマに出てきそうな男気や人情を優先させたりするような、大勢の社会人から見たら非常にアマチュア気質なサラリーマンでありました。

 

そして、派閥争いに巻き込まれて会社を離れることになる、個人会社から出向していた直属の上司から破格の条件での引き抜きを持ちかけられるものの

「角が立つから」

という理由で断ってしまうような生ぬるさも持っていました。

 

補助なしの自転車に乗れるようになったばかりの幼稚園児がどこかに「着く」ことよりペダルを漕ぐことそのものに興奮している、あの状態に近いものを仕事に求めていた労働倫理、というか経営者から見たら「お門違い」の姿勢が僕にあったということです。

 

結局その会社も辞め、指導者資格の取得を目指してロンドンに渡り、一年後、元々目指していた資格は取ったのですが、それだけでは満足できず、もう一段上のレベルのライセンス取得のために、予定より2年近く長く居残ることになります。

 

以前にも書いた通り(マイノリティーの本領 - Dub Log)9割が追試にまわるそのコースの最終審査で、能力不足だった僕も多数派の追試組にまわることになるのですが、同時にビザが許す滞在期間が終わりに近づいていたため、日本に帰国することになります。

 

向こうからしたら外国人に当たる僕への扱いがぞんざいになるのは仕方のないことかもしれませんが、指示された現場実践期間を日本でクリアした後、追試の打診をFA(イングランドサッカー協会)の担当者にいくらしても、その責任をたらい回しにされ続けました。

 

そんな不親切な人たちが多い中、最終的には元々のコースダイレクターに直訴して、彼の同僚が指揮する進行中のライセンスコースに3日間だけ特別参加をして、そこで実技の審査をしてもらえることになりました。

 

イングランドでは有名な、Wembleyに次ぐFAの本拠地的存在のSt. George’s Parkでそのコースは行われていたのですが、近隣は大きな牧場だったり森だったりと、あまりに田舎過ぎてバスすら通っていない場所でした。

 

かつての僕のようにそれぞれのクラブでコーチをしている、受講中の参加者たちが選手役となって、コーチ役の僕の指導が彼らのプレイ改善のために有効的であったかどうかを最終実技の45分間で審査してもらうのですが、それぞれのポジションに選出する選手役(参加者のコーチたち)のおよそ20人の適性を、最初の2日間で見極めたらどうか、という心遣いがそのコースのダイレクターからあっての、3日間参加でした。

 

そこに至るまでの道のりの長さや手助けしてくれた人たちへの感謝を思うと、その資格を取得できたときにはおそらく嬉しくて泣くんじゃないか、と渡航前には思っていたのですが、45分間の実技試験を終え、ピンマイクを外しながらその場にいた全員からスタンディングオベーションを貰い、握手を求められたときは、むしろ大きなプロジェクトを終えたときのような充実と、少しの寂しさを感じました。

 

審査担当者から「結果発表は昼食の後で」と告げられ、講義ルームで昼食を終えた僕は、テラス席的な場所で壮大な自然をぼんやり眺めながら食後の紅茶を楽しんでいました。

 

祭りの余韻冷めやまずにその名残を味わっていると、担当者が僕のテーブルに来て前置き無しで僕のセッションの批評を始めました。

こちらもドキドキしながら最初の1分は聞いていたのですが、“合格の時は過程から。不合格の時は結果から“というこの国の査定云々にまつわるマナーを経験していたので、1分過ぎても結果が出てこない、主に称賛が続いた彼の批評を聞きながら

「あ、これ受かったな」

と察知しました。

 

となると気になるのは次のステップである「UEFA Aライセンス」のコース参加資格はいつもらえるのか、というところで、というのも同じ「合格」でもその後の「現場実践期間」が最短で12か月というものから長い人だと36か月という人までいて、それをクリアしてからでないと、UEFA Aのコース参加の志願条件すら満たすことが出来ません。

 

というわけで、気持ちは既に次の資格の方へ向いていたので、担当者が試験の合格を告げた時、あまりに僕のリアクションが薄すぎて、

「わかってる?おまえ、今UEFA Bライセンスを取得したんだよ。合格だよ」

と言い直したくらいでした。

 

無事、現場実践期間も最短の12か月とありがたい評価をされたのですが、この二つの事例を含む僕個人の経験に鑑みると、他人から、あるいは過去の自分から羨まれるほどの大きな何かを手に入れる時というのは、「何が何でも」という気持ちが強い時よりも、心が初めから、あるいは以前はあったが今はもうそこには無い時に多く起こりやすいのではないかという思いに導かれます。

 

まとめると

何かを手に入れたいときは、努力(≒準備)の仕方を間違えずにやるべきことをやり、しかし執着はしない

という考え方です。

 

しっかり握りにいくというよりは、少しつついて浮遊しているそれを手の平に軽く乗せるイメージです。

風が吹いて「それ」がどこかに飛ばされようとも、そもそも結果(成功)というものは掌の上でコントロールできる類のものではないと僕は考えます。

 

好まない結果に終わったとき努力が報われなかったと感じてしまうのは、きっと補助なしチャリのペダルを漕ぐ楽しさを忘れてしまったからでしょう。

 

さて、前置きが長くなりましたが、ここ数日の僕の関心事と言えば、再入国とビザ切り替えが上手くいくかどうかということです。

前述のとおり(行動力という名の厚かましさ あるいはその逆 - Dub Log)Stansted空港の利用がどのように足を引っ張るかはまだ分かりませんが、成功の掟にならって入国拒否された時のプランニングで心を離したいと思います。

 

一つすでに決めているのは南国の暖かいところに行くということです。

海ときれいな砂浜も必須です。

安定した下手くそサーファーなので、あんまり大きくない波がコンスタントにあるところが望ましいです。

物価が安いところがいいからアジアか南米。

言葉の都合を考えるとフィリピン辺りはどうだろう。

お酒もおいしくて、南国の陽気なカワイコちゃんたちとロマンスして、英語学習のために事実上禁止していた日本語の本、特に大好きな推理小説kindleでいっぱい読んで、バイクにも乗る。

この際生涯の夢でもあるギターの練習も始めちゃおうかなー。

犬とか飼っちゃおうかなー。

くぅーっ!

夢が広がる―っ!

早く入管で引っかかんねえかなーっ!

 

と図に乗ってアホな妄想で戯れていたら、ダブリン到着後、実際に入管で見事に引っかかりました。

 

Stansted空港の件に関しては何も問題なかったのですが、そもそもこの3か月間、ダブリンで何をしていた(≒働いていたのではないか、という疑い)というのが主なポイントで、携帯の記録から何から細かく一時間近くも審理されました。

 

一時間近くという時間は初めてのことで、日本だったら中央ブースの奥の特別審理室(一度入れられたらかなりの高確率で上陸拒否になる)に連れていかれるレベルの長さだったので、一度は本気で南国行きのプランが頭に浮かんだくらいです。

 

詳細は省きますが、最終的には入国後の外国人登録の際に提出するものが、通常の場合より一つ余計に増えただけで、何とか入国の許可をもらいました。

 

かくしてアイルランドの入国管理局における僕の個人データ同様、“成功の掟”にも若干ケチが付きかけましたが、一応入国できたので今回も有効だったということにしときます。