天才の特徴1
Japanese Film Festivalというものがアイルランドでありました。
タイトル通り日本映画をこの国で上映するイベントです。
これを知ったのはロンドン渡航前に訪れた日本大使館で見つけたパンフレットでですが、観たい映画の上映日が残念ながらロンドン滞在期間と重なっていたので、戻ってきてから、そこまで観たいわけではない他の映画を観にいこうかどうしようか迷っていましたが、いつの間にか全て映画の上映が終了していました。
残念。
外国の友人と日本映画を話題にしているときに挙がるのが必ずアニメです。
残念ながら日本のマスメディアがはやし立てている「世界の〇〇」のような権威ある映画監督は一部を除いて、ほとんど海外では知られていません。
少なくとも僕の周りでは。
映画監督に関わらず、俳優であったりスポーツ選手であったり学者であったり、あるいは日本でよく聞く文言、「海外で評価されている日本人の行動様式」における美徳や美意識もしかりです。
親日家やその分野のマニアは別ですが。
アニメと言えばやはりジブリ映画が海外でも人気です。
こればかりは有名です。
僕自身は片手で足りる程度の作品数しかジブリ映画に触れたことがないレベルの、ひょっとしたら日本人としては少数派かもしれませんが、宮崎駿監督の偉大さを思い知るのに映画「カリオストロの城」における”ルパン三世あるある“があります。
「ルパン映画で一番面白いのは『カリオストロの城』だ」というものです。
おそらく同じ年代の平均的な日本人男子同様、僕もルパン三世が好きですが、原作の漫画は少したしなんだ程度、初期のアニメは再放送で数回見た程度、金曜ロードショー的な番組で流れる2時間物はたくさん観た、という、ルパン浸透度に関しても同じ年代の日本人男子の平均値を出しているのではないかと思っています。
その僕が思うに、ルパンの最大の醍醐味は”常に余力を残して勝つ“ところにあるのではないかと考えています。
余力があるがゆえに時代劇的な安心感があり、余裕があるからこそのユーモアがあります。
そこいくと「カリオストロの城」で、ルパンは被弾します。
うろ覚えの記憶ですが、確か意識も失って生死をさまようくらいのところまで行ったと思います。
余裕がありません。
ルパンらしくありません。
この映画を「面白い」ということに関しては、好みの問題はありますが、個人的には異論はありません。
しかし自称ルパンフリークやマニアたちがこの映画をベストに持ち上げるのに違和感を覚えます。
おそらくこの映画を「ルパン映画の中でのベスト」と言い張る“ルパン好き”たちは実はただの“映画好き”、あるいは“宮崎駿好き”だということか、もしくはルパン好きであるのにもかかわらず、そのルパンらしさを薄めた宮崎テイストの作品をそれでもナンバーワンと認めざるを得ない、というくらい宮崎監督の能力が高いのではないかというところに、彼の偉大さの推論を禁じ得ません。
とは言っても前述のとおり僕は宮崎作品を多くても5本くらいしか観ていないし、ルパンに関してさえも平均的なファンなのでこれ以上の広がりは自粛したいところですが、僕の思うルパンの醍醐味、「余力を残して勝つ」ことに僕のような凡人は非常に憧れるところがあり、指導者としてもここ数年、非常に興味深いテーマであります。
指導者人生もそろそろ16年目に入りますが、有り難いことに僕は過去にルパンのような人間に二人ほど出会えました。
一人は2シーズン前に教えていた高校生です。
過去にはプロサッカー選手を輩出しているくらいの、そこそこレベルの高い高校にもかかわらず、キーパー以外の全てのポジションでプレイさせたところ、全てのポジションで一番上手いという、チームメイトだったら嫌になりそうなくらい突出した能力を彼は持っていました。
語りだすと止まらないので詳細は省きますが、とにかく体の使い方が武道の達人のように力みや無駄が無く、肩や膝に力が入りまくり、尚かつ目力必至だった僕自身の当時の仕事中の姿勢に鑑みて、自分のせいで彼の才能が錆びてしまっては世の中に申し訳ないと思って、技術と個人戦術に関してはほとんど口出しをしませんでした。
相手にもよりますが基本的に褒めて伸ばすスタイルを取りがちな僕は、その彼に「天才」「タレント」「ルパン」「我が人類の目標」といったニックネームを次々につけて、挙句には会ったことも見たこともない、かの剣豪に思いを馳せて「宮本武蔵」と呼ぶこともありました。
本人は嫌がる様子も無く、照れ笑いしていましたが。
そして彼の“サッカー選手としての”ではなく人間性の特徴を表すとするならば「欲が無い」の一言に尽きます。
プロサッカー選手への道などをこちらからそそのかしても、やはりいつもの照れ笑いで終わってしまいます。
当時、全ての選手に長中短期の計画表の見直しと作成を四半期ごとにやってもらっていましたが、それに併せて「セルフプロデュースシート」というものも書いてもらっていました。
社会人時代に読んだ自己啓発系の本に載っていた10個の質問からなるそれをアレンジしたもので、細かい質問は忘れましたが、主にミッションとビジョンを問うものであり、少しでも部活を頑張るモチベーションの助けになれば、と3カ月に一度振り返ってもらって、提出してもらった全員分のシートを僕自身もチェックしていました。
例えば「尊敬する人」という欄では、ほとんどの生徒たちは有名なサッカー選手や親やかつての恩師の名前を書きます。
しかし天才の彼は、いたって真面目に
“木村拓哉”
と記入していました。
キムタクが悪いわけではないのですが、こういうところにも才能を感じます。
そして「ビジョン(将来の夢)」には
“パイロット”
「ビジョンを持ったきっかけ」には
“キムタクのドラマを観て格好いいと思ったから”
とありました。
外部コーチが課した提出物を真面目にやってくる素直さというか律義さが、そもそもこのサッカー部全体にあり、いわゆる高校生らしい高校生、思春期イズムやチャラさ、スカシ、シュール、というものがあまりない(少なくとも表面化されない)非常にかわいらしい団体だったのですが、その中でも“芸能人に憧れている”ことや、それが超王道の“キムタク”であることを堂々と言ってのける彼のピュアさ加減にはかわいさを通り越して凛々しさを感じてしまいます。
ちなみに次の四半期に提出されたそれの「ビジョン」欄は
検事
となっていました。
ああ、今度はあのドラマを観たか。
どれどれ、一応「きっかけ」欄もチェックしとこうか、どうせ“ドラマを観て”だろ、と思いながら読んでみると、
“ロサンゼルスに行った時、飛行機が結構揺れて気持ち悪くなったから俺には無理だと思った”
とのこと。
検事を目指すきっかけではなくパイロットを諦めたきっかけが書いてあり、そもそも一学年60人くらいの部員数分をチェックしている読み手である僕が、彼個人が前回書いた「ビジョン」を覚えているという前提で成り立っている双方向型コミュニケーション的な姿勢がそこにはあり、あまりそういうところを気にしないところにもタレントを感じます。
覚えていましたが。
というより今でも覚えていますが。
そもそも計画表を筆頭に、可視化できる、コーチングなのかモチベーティングなのかプロデュースなのか、この手のツールは僕のような“積んで積んで”の凡才型タイプに必要な代物であって、彼のような天才には余計なお世話でしかないのかもしれません。
ということを反省して翌年、大学サッカー部に籍を移してからこのタスクは一切廃止しました。
ちなみに縦の関係でも横の繋がりでもない「外部コーチ」と選手の関係は、顧問(学校の先生)と選手(生徒)の関係とは異なるものであり、好意的な意味を込めて「斜めの関係」と表現されることがありました。
その関係性のおかげでか、たまに選手たちと恋愛話もしていましたが、天才の彼は好きな女の子の前では何もできない、ということを知りました。
“サッカーに関してはほとんど教えていないから”という鬱憤を晴らすため、というわけでもなかったのですが、“その好きな女の子と少しでも仲良くなれるように”という親心や思いやりといった高尚なものではなく、丸っきりの猫っ可愛がり、というか興味本位から
「今週2回以上そのコと話すこと」
的な宿題をよく課してました。
結局いつも、いつもの照れ笑いで「今週は1回しか話せてないです」というルーティーンに落ち着くのですが、オッサンのおふざけにきちんと付き合ってくれるところに、また何とも言えないものがあります。
ちなみに僕が知るもう一人の天才は女の子の前でも物怖じしません。
初対面の同い年の女の子への自己紹介に自分のフルネームを告げてから
「よろしくね」
と言って右手を差し出すイナセな野郎です。
甥っ子です。
(たぶんつづきます)