読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

DubLog

     

事実は小説より

サッカー 追憶

f:id:xmcataguele:20160512201428j:plain

 

先日、嬉しい出会いがありました。

オンラインで知り合った、ヨーロッパのサッカー事情に詳しい日本の若い指導者がアイルランドに来たのですが、せっかくだからということで実際に会ってきました。

 

言ってみればオフ会です。

若人みたいです。

 

名門高校サッカー部出身の彼は、昨シーズンまでの数年間その出身校の指導をしていたのですが、昨年僕が見ていた大学のサッカー部はその高校出身の選手も多く、共通の教え子がいることが分かりました。

そして去年、彼のホームで練習試合をしたときに、その試合の笛を吹いてくれていたらしく、その偶然でも驚きですが、その時の僕の服装まで覚えてくれていました。

 

その時は出来なかった挨拶とお礼を、アイルランドで一年越しに出来たことに幸運を感じます。

 

僕と違ってきちんと指導者らしいブログを書いている彼の話は面白く、久しぶりに日本語でのサッカー談議を大いに楽しんできましたが、やはり若い人から学ぶことはたくさんあり、頭が下がる思いでした。 

lookingforfootball.hatenablog.com

「試合観戦を純粋に楽しめない」、「好きなサッカー選手がいない」、「自分のことをサッカー好きと言い切れない」という指導者あるあるを20代前半の人間と分かち合えたのは、喜んでいいのか複雑なところですが、とはいえ独特で思慮深くて、しかし素直なところに指導者としての熱や資質を感じ、似たような年齢の頃の自分の指導者人生のスタートの不純さを思い返して恥ずかしい気持ちになりました。

 

僕は指導者としてのキャリアを、千葉県は成田の少年サッカーのボランティアコーチとしてスタートさせたのですが、そのころ僕はまだ選手として現役で、僕以外全員南米人で中には元プロとか元代表選手とかがいる、ちょっと特別扱いされていたアマチュアチームでプレイしていました。

 

あるとき、フットサルの地域の選抜チームを作るにあたって僕も招集されることになるのですが、自分が所属していたチームの通訳スタッフが行政の仕事に携わっていた関係もあって、彼と一緒に彼の運転で最初の練習会に参加しました。

 

金曜の夜のことだったのですが、練習が終わってから彼に家まで送ってもらっているときに

「明日、なんかある?」

と聞かれ

 

「明日、なんかある?」

「明日、朝早い?」

「今日遅くなっても大丈夫?」

「飲み/飯行かない?」

やった。奢ってもらえる。

 

と勝手に理解した僕は

「大丈夫。一日ヒマ」

と答えてしまいました。

 

残念ながら予想は外れて

「じゃあ明日、うちの子(小5)のサッカークラブに来てくれない?ちょっとコーチしてよ」

という、当時、自分のことを子供嫌いだと思っていた僕にはかなり衝撃的なオファーを出され、更には練習開始時間が、怠惰な生活を送っていた25歳の僕にとっては早朝とも言える、9時からと聞かされ、「一日ヒマ」と言ったくせに

「うーん。10時過ぎくらいからだったら行けるかもしれない」

という相変わらず人間が中途半端な、慰めみたいな悪あがきをしました。

 

その夜のお食事会は当然なく、一人自分のアパートで冷蔵庫の中を探りながら

「ちっくしょー!騙された!」

という、筋違いの怒りを誰にぶつけることもできず、結局翌朝、負け惜しみのような1時間遅刻で少年サッカーに参加しました。

 

とはいえ一回きりのつもりだったその時の参加で、子どもたちとの触れ合いに惹かれてしまい、当時付き合っていた彼女に「土日に会う機会が少し減るかもしれないけど」ということでお許しをもらって、コーチを続けることになります。

 

結果としては「少し」どころか土日祝日、ほぼ隈なく少年サッカーに従事することになり、彼女の方こそ「騙された―」と嘆いていました。

 

一年後この彼女との、後に結局不履行に終わる婚約を機に派遣の仕事を辞めて就職活動をすることになるのですが、その当時活字中毒だった僕は編集の仕事に就きたいと考えます。

 

募集の段階で「要経験」と書かれてある求人広告を見るたびに、就活において26歳という年齢は年を取りすぎているという現実を知り、逆に自分が経験のあることは何かと考えた結果、サッカーしかないという消去法にたどり着きます。

 

サッカーかあ、道が狭そうだなあ。

 

くらいのあからさまなネガティブな感想しか沸かなかったのですが、幸か不幸か就活で苦戦していたその時期に知り合った、不動産とリフォームの会社を経営している方からの紹介で、編集とは全く関連が無いのですが、ちょっと面白そうな仕事の面接のアポイントメントを取ることが出来ました。

時期にして初夏の出来事でした。

 

そして同じころ、例の通訳スタッフに「子どもたちを連れてサッカー場に来てくれないか」というお願いをされます。

指定された日は面接の日であります。

 

空港に近いという土地柄、サッカー日本代表を始め、海外への出発前に成田で最終調整をするスポーツ団体が多いのですが、その年のU17だったかの世界大会で3位という成績を収めたペルー代表がその時来日していて、調整のためにU17の千葉選抜、そして社会人の千葉選抜と親善試合をすることになっていました。

 

彼は通訳としてペルー側のベンチに入ることになっていて、平日の夕方に行われるその試合を、子どもたちを引率してスタンド観戦しないか、というお誘いです。

どうせ暇だろ、という無職の僕の足元を見てのお誘いだったわけですが、確かに面接には試合観戦後でも間に合うし、もう6年生である教え子たちも聞き分けがいいから引率と言っても実際は現地集合現地解散の楽な役割だったので、面接用のスーツ姿でサッカー場に向かいました。

 

平日とはいえ、そこそこの人の入りだったスタンドで、子どもたちに「コーチ、スーツ似合わない」と一通りいじられた後、みんなで仲良く観戦していたのですが、観戦中に僕はあることに気付きます。

 

その日の試合、ペルーU17代表は千葉の社会人選抜との対戦だったのですが、数日前に行われた一試合目、侮ったわけではないでしょうが、主にレイソル、ジェフ、市船で構成されたU17の千葉選抜に完敗していたらしく、親善試合といえど世界3位の国代表がアジアの小国の一地域の寄せ集めに2連敗は出来ない、というプレッシャーからか、ペルーのベンチの監督も終始立ちっぱなしで選手たちに檄を飛ばしていました。

 

そしてその監督の声や動きに記憶の貯蔵庫を刺激されました。

 

あの声、あの抑揚、あの手振り身振り、あの怒りっぽさ、どこかで記憶がある。

有名な監督なのかなあ。

誰かに似ているだけかなあ。

・・・思い出せない。

 

試合内容ではなく、記憶の捻り絞りに眉をひそめて必死な顔をしていると、教え子たちが「どうしたの?」と心配そうに尋ねてきますが、とりあえず応答不可です。

 

というような感じの生みの苦しみを数分味わった後に、やっと彼のことを思い出せました。

 

以前、ペルーにいた時、シーズン開幕直前に戦力外通告を受けてクビになったと書きましたが、そのチームの監督をしていた人物でした。

つまり僕に戦力外通告を言い渡して、翌日以降の住処が無くなる不安におとしいれた張本人であります。(二度あること - DubLog

 

思い出した瞬間、あの時の悔しさや惨めさよりも、素直に嬉しさが込み上げて、僕が知る限り最もダサい男の振る舞いの一つ、「知り合い自慢」よろしく、スタンドの上からペルー側のベンチの例の通訳スタッフに、“オレ、あいつのこと知ってるぜ“というスタンスで他の観客たちに聞こえよがしに

「○○さーん(通訳スタッフ)!その監督の名前、カルロスでしょ!」

と大声で聞いてみたら、すかさず

「いや、オスカルだよ」

という答えが返ってきました。

 

この数年前、まだコーチを始める前のことですが、別件で知り合った通信会社のジャーナリストに取材を受けたことがありました。

詳細は避けますが基本的にはペルー体験に関するアレコレが取材の対象で、新聞以前にメディアに晒す段階で、事実を元にした話に出てくる登場人物の名前を全て変えていたのですが、その際自分で勝手に変更していた「カルロス」がすっかり本名の「オスカル」を乗っ取っていて、それが故での「カルロスでしょ!」でありました。

 

とはいえ、おそらく自分の背後に200人くらいはいたであろう、おじさん、おばさん、小学生からしたらただの若い兄ちゃんがやっちまった、知ったかのフルスイング、空振り三振であり、手すりから若干身を乗り出して勢いよく放った渾身の「カルロスでしょ!」はもう戻らず、ダサさをダサさで閉じた場合、マイナスかけるマイナスの掛け算のようにプラスに転じるミラクルも起こらず、ただただ真摯に敗北を受け止め

「そうそう、オスカル」

と、ひょっとしたら後ろの観客たちに“何が「そうそう」なのか”について考えさせたかもしれない、意味不明の独り言をつぶやきながら教え子が待つ自分の席に戻りました。

 

試合終了後、通訳スタッフの友人の「みんなで記念写真を撮りたいから子どもたち連れてピッチに降りてきて」という指示に従い、写真撮影後、そこでオスカルとの再会がやっと叶います。

 

彼も自分がクビにした男のことを覚えていてくれて、感極まった僕は、現在自分も指導者になっていることを伝えたうえで、すっかり忘れてしまったスペイン語をたどたどしく駆使しながら

「いつかあなたがペルーのフル代表で、俺が日本代表の監督になって対戦できたらいいね」

くらいの軽口を試みるのですが、忘れる以前にペルー在住時、タクシーの運転手に開口一番「おまえ、ブラジル人?」と聞かれるくらいスペイン語を話せなかった僕はその時も

「たぶんー、おまえー、ペルー代表、俺-、日本代表、試合するー、将来」

くらいのレベルのことしか言えず、しかし理解してくれたのか、本人いわく過去に帝京高校のコーチをしていた経験もある彼は片言の日本語で

「ベンキョウ!ベンキョウ!」

と言って僕の肩を叩いてくれました。

 

逢魔が時の太陽が天然芝を柔らかく染めるその絵面は、もう二度と会うこともないと思っていた知人との地球の裏側での再会に、何かしらのメッセージを勝手に感じ取るには十分で、遊び始めた教え子たちを前に

「これを仕事にしよう」

と胸中でひそかに決意を固めました。

 

そしてまくっていた袖を直して、緩めていたネクタイも締め直して、予定していたキャバクラの面接に向かいました。

アポはアポです。

 

そしてこれきっかけで完全未経験のバーの店長をやらされたりと、一年ほど遠回りすることになりました。

 

事実が小説よりも奇だったことはありませんが、残念ながらこのように、事実はいつも小説よりいびつで、スマートに理屈どおりに上手くまとまることはありません。

とはいえ、東京でかすった若者とユーラシアをまたいだ西の果てで再会した今回の一件同様、僕にとってはこれでも比較的ドラマチックな経験談で、満足はしています。

 

こんなことが時たま起こってくれるので、語学勉強のために中毒だった日本語の小説を禁読して数年たちますが、何とかやっていけてます。