DubLog

     

働くということについて

f:id:xmcataguele:20160518183558j:plain

 

20代前半の一時期、ほんの数カ月のことですが僕はペルーに滞在していました。

 

以前にも少しだけ触れましたが、シーズン開幕直前に戦力外通告を受けた翌日、日本で待つ彼女に電話をしたところ、番号が使われていないことを音声通知で知ることになります。

番号が使われなくなっていた理由は、彼女が他の男性のためを思ってのことでした。

そしてそうなる兆候は日本を発つ前からありました。

 

長くなるので詳細は控えますが、その彼女は僕に結婚というものを初めて意識させた、結婚願望の強い女性でありました。

安心感というものを期待できない、幼い22歳の僕の彼女に対する態度は、彼女からしたら移ろう理由を持つには充分で、実際に彼女は浮気をしました。

 

経験貧乏性でトラブルをトラブルとも思わなかった当時の僕にはお似合いの、血生臭い話も含めた三角なアレコレや二転三転があったうえで、最後の最後に「今度こそ信じて」と空港に見送りにきた彼女は言いました。

 

素直な反応としては「それどころじゃない厳しい闘いがこれから待ってるんだけど」という、恋愛においては疲労感を持った心境で、しかしその言葉は飲み込んで、萎れた絆なのか恋愛関係なのかやらを結び直してあげてからのペルー渡航になりました。

 

自分探し、恋愛のいざこざ、海外、の3つは昔から非常に相性のいいもので、“結婚は人生の墓場”だと思っていた幼き自分も、ブラジルから帰国後の浮遊していた2年間のケジメの意味も含めて、こんな感じでプロサッカーへの再挑戦を決意するのですが、勤めていた会社を退職して渡航よりも前にまず日本で従事したことは、フィジカルの改善でした。

退職から渡航まで、期間にして4カ月ほどありました。

 

平日の午前中から人影まばらな近所の公園で、ボールを使った単純な反復作業のトレーニングを2時間ほどこなします。

昼食後に必ず昼寝をします。

午後は筋トレかロードワークです。

夜はフットサルなど、対人の練習ができる機会を探しては可能な限り顔を出していました。

そして週末はアマチュアリーグの試合、というルーティンです。

 

サッカーのような消耗の激しいスポーツのアスリートにとっては体重を落とすことよりも上げることの方が遥かに難しく、ただでさえ痩せやすかった当時の僕は、独学ながらタンパク質とカロリーの摂取量を計算した献立を作り、食事が嫌いになるくらいの量のそれらを、“食す“というよりは文字通り摂取をしていて、それ自体がトレーニングのように苦痛を感じるほどでした。

 

そしてこの当時、好きだった詩人が作詞作曲した「アルバイト」というメッセージソングをよく聞いていました。

当時のアルバイト情報誌のCMソングにもなった歌です。

 

メッセージ性の強い歌を要約するのは野暮というか作り手への冒涜に近いのですが、簡単に言えば「アルバイト生活がどれだけ続こうが夢をあきらめるな」という歌です。

その歌詞の中の、心に触れるたくさんの箇所とは別に、その当時の自分の状況とオーバーラップしていた、

 

あのこが言うには

叶わなかったらどうするの

あのこが言うには

好きだけどもう待てないわ

 

という部分に悲劇ぶって陶酔していました。

 

いわく付きとはいえ夢を追い続ける不自由さに「男はつらいよ」に似た自己憐憫をして酔っていた、という話なのですが、僕はわりかし早い段階であることに気付いてしまいます。

 

それは

俺、アルバイトもしてないじゃん

という現実です。

 

人並みにそれなりの振れ幅に振られてきた人生を送っている僕は、月に500時間を超える労働を数年間こなす一方、無職の期間もそれなりにあるのですが、本人が幸か不幸かは別として、少なくとも労働の義務がある我が国では無職は恥ずべきこと、かわいそうなこと、良くないこととして捉えられがちです。

 

平日の昼間に普通の都市公園で、ボールを使った単純作業をひたすら繰り返すその姿を客観視した時の心情を白状すれば、やはり恥ずかしくもあり、哀れにも思えてきます。

 

僕が最も仕事が嫌いだった時期は、500時間働いていた時期でも、その筋の人との関わりを持たざるを得なかった水商売の時期でも、なかなか売り上げが上がらず「(僕が立ち上げた支部を)潰して本社に戻ってこい」と社長に言われた挙句、それを断ったその月の僕の稟議が一切下りなかったために、ひと月丸々経費を持ち出しして耐え抜いた時期でもありません。

 

結局は人間関係が一番のストレスになるのでしょうが、周りの人間というよりも自分自身の未熟さから、ブラジル留学のための資金稼ぎに高校卒業と同時に勤めた職場での一年間が一番嫌いで、休みの日に仕事のことを思い出したくないからという理由で、工場勤めであるのにもかかわらず、洗濯のための作業着持ち帰りを、不潔にも一年間拒否し続けたくらいでした。

運転中に原因不明の“数秒間失明”が起きたのもこの時期です。(成功の掟 - DubLog

 

というわけで、アルバイトだろうが派遣だろうが正社員だろうが委託だろうが“仕事は大変”ということは一応知っているつもり、と前置きしたうえで、それでも言えることは“夢や目標だけで生きることはもっとタフ”という、経験上ではありますが私的な感想です。

 

毎日働きもせず公園でボールを蹴っているような生活における後ろ向きな感想を持つ理由に、前述した恥ずかしさや哀れさ以外にも、言わずもがな「経済面のデメリット」や「社会的存在意義の喪失」などがあります。

 

が、これらは「タフ」な理由を正確には示していません。

表現が少し難しいのですが、これらは全て受動的、あるいは二次的、または付加的なもののように思っています。

 

「夢」の不自由さや付き合いづらさの根源は「さぼれない」ことにあります。

「折れ」て「やめる」ことはできても。

 

測ってくれる、管理してくれる、競ってくれる他者がいる時、逆説のように聞こえますが、人はさぼれます。

水準や基準を他人にゆだねる分、力加減を調節しやすく、事の成否の判断もつき易くあります。

 

これが、こと誰にも頼まれていない自分の夢や生きがいとなると、「今日はあれをさぼってしまった」「今日はあれにビビってしまった」の採点は全て自分自身でこなすことになります。

人に頼ることのできない自己査定で、「完璧な人間なんていない」がために、「だからこそ」なのか「とはいえ」なのか、完璧(理想)を求めて設定した(理想の)合格ラインに、完璧でない人間は完璧でないがゆえに達成し続けることはなく、結局「自分に勝つのが一番難しい」という不変の条理とともに息苦しさにたどり着きます。

 

とはいえ開き直って投げてしまったら最後、誰も元には戻してくれないので、それでもその「惜しい」ラインで踏みとどまらなくてはいけない、という気力というかド根性みたいなものを求められます。

 

この根性論が苦しくて、高校の頃から20歳で一度サッカーから離れるまでの間も、「勝つための闘い」でなく「終えるための闘い」というふうにある時は位置づけながら、文字通りノルマのようにトレーニングをこなしていた日々もありました。

 

このガチガチに固まった圧迫感は、二流ならではの哲学だと今は思っているのですが、ただ、当時の僕のみならずこのような精神状態で夢と付き合っている人、向き合っている人というのは、現代にも一定の割合で潜んでいるのではないでしょうか。

 

生きがいだけで生きる「サボれなさ」や息苦しさを考えた場合、逆に言えば、働くということがプラスに作用する項目はいくつもあり、僕自身は仕事に「やりがい」や「生きがい」を求める方ですが、どんな理由であれ、例えば「お金のためだけ」という理由であれ、やはり「働く」というのはある種の人にとっては、いや、おそらくは多くの人にとっては「働かない」より幸福な選択肢になるのでしょう。

乱雑にまとめると精神衛生上、良いからということです。

 

話はガラッと変わって、所属しているサッカーチームの公式戦が最近、平日も週末も立て込んでいます。

悪天候やピッチ不良を理由に延期した未消化試合がたまっているからです。

 

先日は平日の6時半キックオフの試合のために、みんな仕事を早退してきたのでしょう、5時過ぎには選手が集まり、しかしまた雨が降り、ピッチ不良で再延期になりました。

 

セミプロといえど、我々コーチ陣同様、無給で携わってくれているグランドキーパーやクラブハウスの管理人、チームドクターなども、その雨と延期を決めた主審のひ弱さに苦笑いです。

 

語学勉強のためによく観ているこちらのテレビドラマでも、地元コミュニティーの演劇のリハーサルを理由に、登場人物たちが仕事を早退するシーンがよく出てくるのですが、うちのクラブを見ても、選手達も含めクラブ関係者一同、わざわざ早退してまで顔を出した用事が雨のため中止になったことに、文句は言いつつも笑っています。

 

ここから思うに、仕事早退などは普通のことで、アイルランド人にとっては正式な仕事も地域活動も似たように扱われていて、その二つは大きなくくりで「社会のため」という同じベクトルの上にあるのかもしれません。

 

ヨーロッパのワークライフバランスがどうとかいう話ではありません。

 

他の国のことは詳しくわかりませんが、イングランドやアイルランドのセミプロやアマチュアのスポーツクラブというのは、ほぼ奉仕の精神の上に存在しています。

 

練習場、スタジアム、クラブハウス建設から用具、備品、毎練習後の無料の飲食物購入まで、当然のようにお金がかかりますが、オーナーを始め誰も投資した分の資金の回収を図っていません。

前述したように、我々スタッフは無給ですが、契約しているものの、選手の中にも無報酬でプレイしている者が何人かいます。

 

地元の中小企業から、大手銀行やチェーンのスーパーまでがスポンサーに付くこともありますが、彼らもスポーツによる地域貢献の参加という意識くらいしかなく、ユニフォームの胸に入ったスポンサーロゴは売上貢献の手段ではなく、地域貢献の証と誇り、くらいに思っているのではないでしょうか。

 

そんな我々の選手たちはローカルの、という条件付きではありますが、スポーツ新聞の一面にデカデカと載ったりもします。

リザーブリーグの選手全員の名前が試合前の集合写真とともに載ったりもします。

地域のスポーツクラブで頑張るモチベーションのお手伝いを、地域のメディアがしてくれているという構図です。

 

ちなみにこの前の土曜日もそのリザーブリーグの試合がありました。

 

そして我がチームが2点を先取した数分後、試合時間にして前半30分過ぎくらいに事故が起きました。

オーバーラップしたうちのフルバックと激しく接触した相手のキーパーが倒れてしまったのです。

 

すぐに主審が相手チームのドクターを呼びます。

敵味方関係なく、選手たちが心配そうに倒れたキーパーの周りに群がります。

そのうち、うちのチームドクターやスタッフもピッチに入りました。

 

意識はあるのだけれど、頭を打ったのか、吐き気がする、そして右膝に感覚が無い、とのことで、クラブハウスにいたスタッフに救急車を呼んでもらいました。

下手に動かせないので、対象の彼をピッチに横たわらせたまま、試合も一時中断です。

 

そして緊急の呼び出しに手頃な救急車が無かったのか、代わりに消防車がやってきたときに、また事故が起きました。

 

グランドの敷地内の地理としては、出入り口の門から近い順に、駐車場、クラブハウス、練習用のピッチ、試合が行われているピッチ(現場)と位置しているのですが、その消防車がクラブハウスの横を通り抜けて練習用ピッチに入ったとき、後輪がぬかるみにはまり動かなくなりました。

 

絵に描いたようにきっちりと駆動の両輪が空転しています。

 

一時中断と聞いてショートブレイクを取りにクラブハウスにコーヒーを飲みにきていた僕は、消防隊員なのか救急隊員なのかは分かりませんが、オジサンたちが一生懸命、後輪に板を噛ませたり、駐車場から持ってきた砂利を敷いたりする様子を、一先ずはうちの(クラブスタッフの)オジサンたちと一緒に眺めていました。

 

が、間もなくして僕の言い出しっぺで僕らが車体を押してあげることになります。

(うちの)オジサンたちは

「俺らが消防車を動かせるわけねえだろ」

と軽口を叩くも、笑顔で承諾します。

 

まずは砂利を敷いて、その上に板を噛ませて、隊員の一人がアクセルを踏み、僕を含めた5、6人のオジサンたちで車体を押してあげることになりました。

 

そういえばこちらでは「ボランティア活動」を多くの場合において「voluntary work」と表現します。

voluntaryの訳し方が英和辞典に載っているそれとはほんの少し異なるように受け取れることが多いのですが、今回の要点はworkの方です。

 

状況にもよりますが、無償でも自発でも個人のステータスがworkとなった以上、それなりの扱いを受ける一方、それなりの「働き」を要求されます。

ちなみに僕が再入国時に、以前違法で働いていなかったかもめたのも、ここの部分に関わるものでした。

 

僕自身もサラリーマン時代によく使っていた、今はあまり好きではない言葉に

「一円でもお金をもらっている以上、きちんと仕事をしろ」

というものがあります。

 

これは本来「額の大小にかかわらず」という美徳を説いた教えであると思うのですが、voluntary workをworkとして扱っている彼らからしたらむしろこの言葉は“利益の有無を献身のモチベーションにしている”という曲解さえ可能な、なんともいけ好かないものに成り下がってしまいます。

 

彼らからしたら

「1セントももらってなくてもきちんと仕事しろ」

です。

 

15年前、日本で少年サッカーのコーチを始めた最初の年、いつも練習開始ギリギリでやってきて、グランドの準備を他のコーチや保護者の方に任せている僕を

「おまえはボランティアという名の上にあぐらをかいている」

とよく叱ってくれるお父さんコーチがいました。

 

彼の教育により、ほどなく僕も常識的な指導者になれたのですが、後に同じような価値観でボランティアというものを捉えている国に住むことになる僕にとっては、彼との出会いは非常に幸運でした。

 

なんてことを消防車をウンウン押しながら思い出していたのですが、しかし車体は前に1ミリも進みません。

 

「ほらもうイッチョ!」「いけ!」「押せ!」

掛け声は立派ですが、大の大人が数人がかりでマジのマジで押しても、上下に揺れるだけで前進はしません。

 

結局何度目かのトライの後に

「な、ダメって言ったろ?」

とみんなで笑いながらお開きになりました。

ピッチ不良で再延期になった平日の試合の時と似たような空気感です。

隊員達は渋い顔をしていましたが。

 

その後、ちゃんとした(?)救急車が到着。

二の舞になりたくなかった彼らは駐車場に車を停めて、ストレッチャーを持って少し距離のある現場まで走って向かってました。

結局、時間を止めすぎた試合も再延期です。

 

以前、目的地に「着く」ことではなく自転車を「こぐ」ことそのものに楽しみを求めるような労働哲学をさらしましたが、それと似ているのか、それ以上なのか、1ミリも進まなかった消防車に全力を出し切ったことに、隊員の眉の絞りは置いといて、我々にはそれなりの一体感とか充実感とかがありました。

 

とは言え「いい“仕事”をした」と言い切る図々しさは、さすがに持ち合わせていません。

 

あと、そもそも僕に野次馬根性があったのかどうかは明かしません。