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大人になるということ

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19歳の時に親元を離れてから、国内外を問わず基本的には一人で生活をしてきましたが、過去には家庭の事情や僕自身の都合で、家族の誰かしらと一緒に住むこともありました。 

 

ロンドンから帰国してからもしばらくの間は実家にお世話になっていたのですが、以前にも明かした通り、僕には少し抜けている母がいて、彼女を相手にすると度々ストレスが溜まることもありました。

 

母のアホさ加減とは別に、“物を所持する”ということの価値観については、それこそ初めて親元を離れた19歳の頃からお互いの隔たりが明らかになり、以来それについての一向に交わることのない主張は、一向に終わることのない言い争いとなり、一向に解決しない問題の一つになっています。

マザコンの僕は、特に自分の母親に対して非常に心の狭い人間であります。

 

”物を所持する”云々を平たい言い方で言えば

要らないものを母はやたらと僕にあげたがる

という問題です。

 

どこの母子関係においても見られる“あるある”の光景だとは思うのですが、言ってみればありがた迷惑であり、小さな親切大きなお世話でもあります。

 

今でこそ「ミニマリスト」という一単語による表現法が発明されたので説明が容易になりましたが、約20年前からここ最近までの間は、「所持品を増やすことに対しての不幸感」を説明するのがなかなか難しく、代わりにスナフキンの話をよくしてあげました。

 

小説内のセリフでうろ覚えなのですが、

「みんな何でそんなにもたくさんの物を欲しがるんだろう。僕にはこの笛とマントがあれば十分なのに」

といった内容のものです。

 

「ほら、母さんの好きなムーミンの中で、スナフキンも言ってただろ」という枕詞に続けてこのセリフをよく唱えていましたが、彼女がムーミンを好きだと言ったことは一度もありません。

そう言うことによって彼女を洗脳させ、こちらを優位に持ってくるための術です。

詐欺師の手口であり、アホに効く手法です。

 

狙い通り母は「母さんの好きなムーミン」については異を唱えたことが一度もありませんが(実際に好きだったのかもしれない)、アホのくせして頑固者なので納得はしてくれません。

 

「何でも手に入る、ということは、何にも手に入らない、ということと同じくらい不自由なんだよ」

という、不丁寧な理論で言いくるめようとしても、理解力が高い方ではないのでわかってはくれません。

 

結局、

「欲しくないって言ってるものを無理矢理渡すというのは、他人の家の前にバキュームカーで勝手にウンコまき散らすというのと同じことだよ。やられたら嫌だろ?」

というアホにもわかる品のない話で落ち着かせるのが一連のパターンです。

 

ここまで話すと大抵は苦笑いで

「でも私、シンのお母さんだもん、お母さんだからいいの」

という伝家の宝刀「“理屈抜き”の思考停止ワード」を抜いてこの件をノーコンテストに持っていっていましたが、共働きの兄夫婦に子どもたち(アホの甥っ子兄弟)が生まれ、週に何度も実家に訪れる孫が出来てからは

「違う違う。それは息子じゃなくて孫の役割。俺もバアちゃんがくれるものだったら何でも受け取ってあげる。実際、俺、バアちゃんには優しいもん」

という、同様の「理屈抜き」の返し技を覚えました。

 

実際に、僕がおばあちゃん子だったから、とか、母ほど近くないちょうどよい距離感が、とかそう言った理由があるわけではなく、ただ単に、僕が知る限り最も長い時間喋り続けることができる生き物である彼女と言い争いをしても、こちらが不幸になるだけだから諦めている、という事情による、「バアちゃんには優しい」です。

 

この返し技を覚えてからしばらくの間は、母が祖母に対して嫉妬と同時に先輩風を吹かしていたらしく、7年前の夏、僕が宮崎に住んでいた時、祖母から

「シンにお菓子とかオモチとか送ろうと思ってるんだけど、孝子(母:仮名)がね、シンは勝手に物を送られると怒る、っていうの。そんなことないよね」

というチクリの電話がありました。

 

「夏にオモチ」を始めとする複数のツッコミどころを全て堪えて、「バアちゃんの物なら受け取る」発言を撤回するわけにもいかないので、

「そんなことないよ、ありがとう」

と優しく返してあげました。

 

実は最近、母からメールが来ました。

「おばあちゃんが何か送りたいと言っているんだけど、何が欲しい?」

という内容のものです。

 

当初は自分の母親に嫉妬していたくせに、彼女は学習するタイプのアホなのか、実はそれ以来、祖母免除のルールをいいことに祖母経由で要らないものを時々送り付けてきます。

 

今回のメールもそれの前フリで、嫁が姑からの贈り物を煙たがる感覚で、この件に関しては僕も我が母のことを煙たがっていますが、お互いいい年だし、もうこれはこちらの根負けが必至なのかなあ、と諦めかけてもいます。

 

そう言えばあの小説の中でも、スナフキンがいなくなった後のディナーパーティー的な会場で、彼を恋しがっているムーミンが、何かの拍子に現れたハクション大魔王みたいなヤツに、相手の迷惑を顧みずに勝手にご馳走をテーブルごとスナフキンのところまで送らせていたような気がします。

うろ覚えすぎて「的な」とか「ような」が多くてごめんなさい。

 

「笛とマントだけで結構」と明言したにもかかわらずムーミンから「有難迷惑」を受け取ったときの、願わくばスナフキンの反応も知りたいところですが、元々物語では描写されていないのか、僕が忘れているだけなのか、いずれにしろ分からないところであります。

 

送り手、受け手の双方に喜びを生む贈り物には、双方にマナーが要求されることに鑑みると、なし崩し的にまかり通っている我が母の剛腕に溜息もつきたくなりますが、世界平和を目論む人間の態度としてはこれはよろしくないので、アホの甥っ子を見守る時と似たような心構えで母とも接していきたいと思います。

 

そう、たぶんだけど俺、スナフキンよりちょっとだけ心が広いし。