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男が無言でいるとき

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どこの世界にも力関係や序列関係というものがあるように、サッカー観戦の場においてもヒエラルキーに似たものが存在します。 

 

例えばサポーターの観戦マナーの良さに関しては日本の優秀さは群を抜いていて、彼らの試合終了後の「ゴミ拾い」を、サッカー好きの僕の友人は出身国にかかわらずみんな知っています。

ちなみにEUROのアイルランドースウェーデン戦の後、両サポーターがフレンドリーに盛り上がる様子がネットで流れて、好意的な話題にもなっていました。

しかし今回はそういった話ではありません。

 

サッカーを少しばかりかじったことがある人がにわかファンを非難する傾向がありますが、僕からすればかじった程度の人間がパブやスタジアムで垂れる“知ったか”の方こそ鬱陶しく感じます。

基本、「明日は我が身」と自分自身を戒めながら、僕は自分のツレにしか聞こえない程度の声量での会話に努めますが、あまりにその”知ったか”の偉そうな態度に対する周りの不穏な空気を感じた場合は、お節介ながら表面上は自分のツレに、しかし「かじった程度ヤロウ」に聞こえるようにわざと大きな声で、かなり専門的な解説をしたりします。

それを聞いた相手は自分のにわか知識に気後れを感じてくれるのか、そこからは大人しくなります。

少し大人げない方法ですが、効果的です。

しかし今回はそういった話ではありません。

 

EUROが始まって以来、アイルランド時間で、午後2時、5時、8時にキックオフする試合の内、語学学校の授業時間と被るせいで観戦不可能な平日2時開始の試合以外のほぼ全てを、僕は今のところ観戦しています。

 

ヨーロッパのトレンドを確認するためだったり、新しい発見を求めて、というのが主な理由ですが、価値ある試合との遭遇はチームの強弱や試合結果にかかわらないことがままあるので、一般的に非魅力的と思われているカードも貧乏性のようにチェックしています。

 

何度か申し上げたとおり、僕は同い年のリーアム・ニーソン似のクロアチア人男性と小っちゃくしたサミュエル・L・ジャクソンみたいな30半ばのブラジル人のゲイと同居しています。

 

クロアチア人とは部屋も共有していて、夜勤仕事をしている彼は日中が睡眠の時間帯になるのですが、出勤直前の8時キックオフの試合だけでなく、自分が興味ある試合の場合、頑張って早めに起きて5時開始の試合も僕と一緒に観戦したりしています。

 

一方、ブラジル人の方は完璧なにわかファンなので、周りが盛り上がっている試合しか観ません。

僕とクロアチア人が知る限り、彼女が我々と一緒に観戦したのはそれまでのところ開幕試合のフランスールーマニア戦だけでした。

開幕前の世間の盛り上がりに煽られて買ってしまったのであろう、アイルランド代表のマフラーも袋に入ったままダイニングのテーブルの上に放置しっぱなしで、それを見たクロアチア人が「こういうこと、女のコがやりがちだよな」と本人のいないところで軽口を叩いています。

 

ところでサッカーとは関係ない、我々の日常生活での力関係の話になりますが、最長期間の居住者であるブラジリアンゲイが、共有スペースでのルール、マナーの全てを牛耳っていて、彼女の傍若無人に辟易している我々男二人は、困り笑いでお互いの溜息を共有しています。

 

そんな相棒のクロアチア人は暴君のブラジル人のことを「クイーン」ではなく「ボス」と呼んでいますが、彼のジェントルマン然とした振る舞いは見事なもので、音痴で不美声な聖歌で日中の睡眠を妨げられがちな分、僕よりも彼の方がより頻繁に彼女に迷惑を被っているはずなのに、彼が怒っているのを見たことが一度もありません。

本当に紳士な人間です。

 

先日、クロアチアーチェコ戦を、またウェイティングルームで観戦しました。

5時キックオフだったのですが、彼も早めに起きてキックオフから観戦を始め、僕も5時終了の語学学校から急ぎ足で戻って、途中参加しました。

 

普段一緒に観戦しているときは、「サッカーを専門にしている人」と「かじった程度の人」の熱意の差を慮っているのか、彼はテレビを観やすい方の大きなソファーを必ず僕に譲り、彼は小さな簡易ソファーにこぢんまりと収まります。

そこにはサッカー観戦におけるヒエラルキーのようなものが存在しています。

 

しかし「かじった程度」にしては、サッカー文化が根付いたヨーロッパという土壌で育ったせいか、観戦中に少しばかり鋭いコメントをしたりもして、僕の職業的分析による反論にもそう簡単には屈しません。

そんな彼の態度に、もとより黙らせるような気は起きず、むしろフェアな好敵手の姿勢を感じて、僕は勝手に偉そうに彼を認めています。

 

そしてその日はクロアチア戦でした。

帰宅した僕に、すでに自分が陣取っていた大きい方のソファーに「座るか?」と彼は尋ねてきましたが、そこは「ノー」と答えて、僕は普段彼が座っている簡易ソファーに身を沈めました。

 

熱意という面では当然当事国の国民である彼の方がこの試合に対しては有り、熱狂的なサポーターに対してそうでないファンが遠慮してあげるのと同じく、僕はクロアチア戦においては「専門家」然とした態度を控えます。

普段は二人とも好き勝手に選手のプレー、ジャッジ、監督の采配に賛否両方のコメントをして、意見が食い違ったときは議論を楽しんでいるのですが、クロアチア戦に関してだけは彼のコメントを否定することなく、それをなぞるか補足だけをして、基本、ジャッジや監督の仕事を含め、僕がクロアチア側に批判的なコメントをすることもありません。

 

そこには別のヒエラルキーが存在します。

言い方を変えれば、相手に対する気配りでありリスペクトであり思いやりであり、男どうしの友情であります。

 

このウェイティングルーム内における我々二人のコミュニケーションや親睦の様子に比例するかのように、画面内のクロアチア代表も絶好調、後半に入った試合は2-0でリードしていました。

 

そしてその時、ブラジル人が帰ってきました。

買ったマフラーをまだ開封すらしていない正真正銘のにわかファンである彼女ですが、この日は我々の空気に感化されてしまったのか、荷物を部屋に置くと彼女はすぐにウェイティングルームに戻ってきました。

 

そしてクロアチア人を端に詰めさせて大きいソファーを彼とシェアします。

テレビに向かって右から「にわか」「かじり」「専門」の3種類が並びました。

 

熱意に関して言えば、僕はそもそもサッカーファンなので、より魅力的なプレーをするチームに決勝トーナメントに進んでほしい、よってルームメイトへの気遣いだけではなくクロアチアを応援、クロアチア人は言うまでもなくクロアチアを超応援、ゲイは別にどっちでも、という感じです。

 

サッカー王国であるブラジルにも当然サッカー文化が根付いていますが、ルームメイトのクロアチア人が「かじった程度」よりは詳しくサッカーを知っているのと同様、ブラジル人も「にわか」の割には少しサッカーっぽいことが言えてしまいます。

そしてそれがアダとなり、日本でのサッカー観戦中にしばしば聞こえてしまう「かじり」の“知ったか”とほぼ同種の的外れなコメントを繰り返してしまいます。

 

それプラス、毎日アップしているフェイスブックに後で載せるのでしょう、全然空気を読まないタイミングでテレビ画面をスマホカメラで撮るような、鬱陶しいことまでし出しました。

 

彼女が来る前までのこの部屋の空気感は、彼女の「はしゃぎ」とは大分異なっていたものだったので正直イラッとしてしまいましたが、その分野に労力と時間を多く費やした者がそうでない者に対して排他する態度を見せることは、実に村社会的な心の狭い反応であり、またその分野全体の利益に鑑みても逆効果である恐れがあったので、僕は彼女の言動に対して深呼吸を一つするだけに留めました。

試合もまだ2-0で勝っていることだし、大らかな気持ちになれるものです。

 

と、油断していたら、試合も終盤に差しかかろうかという頃、チェコに1点を返されてしまいました。

これで2-1です。

しかしまだリードしています。

何よりルームメイトの彼の態度にまだ余裕があります。

 

ただ、そこから約10分後に腹立たしい事件が画面の向こう側の現場で起こりました。

悪名高いクロアチアのフーリガンがスタンドからピッチに発煙筒を投げ入れたのです。

 

事態を重く見た主審は試合を一時中断します。

解説者も「勝っている側のチームが何でこんなことをするのか。チームのパフォーマンスだって上々だった」と非難しましたが、怒りが高まったのはテレビ画面のこちら側でも同じでした。

 

特にクロアチア人の彼が「これが初めてのことではなくて、一部の人間たちの愚行のために勝ち点を剥奪された試合も過去にあり、彼ら以外の善良なクロアチア人にずっと迷惑をかけ続けている」と、心無いサポーターに対して怒りを露わにしていました。

普段穏やかな彼にしては珍しいことです。

 

そして5、6分の中断の後、無事ゲームは再開されましたが、「これで流れが変わらなければいいけど」と僕が独り言のようにこぼした嫌な予感が的中してしまい、試合終了間際にチェコにPKを献上してしまいます。

 

再びルームメイトの激高です。

 

「ほんっとにあいつらクソだよ!あんなF**K野郎らは二度とスタジアムに入れるべきじゃなかったんだよ!もう二度と!どの試合にも!代表戦だけでなくこの世の全てのどの試合にも!」

 

“流れが変わる”という非科学的な言い分に違和感を持ったり、PKを相手に与えたことをフーリガンのせいにすることに八つ当たりを感じる人もいるかもしれませんが、ジャッジや観戦者が傾いたかもしれないチェコ側に対する応援心、本来チェコ選手と同様に被害者であるはずのクロアチア選手が、罪悪感や過去の処罰の事例から抱いてしまったかもしれない戸惑いを思うと、合理だけでは片付けられないものがピッチには漂っている、という考えを否定は出来ません。

 

そして我々のような理屈と理論をとことん突き詰めた仕事に従事している人間こそ、最終的には不確定要素が試合を決着することがしばしばあることを知っているので、実はツキとか運とかジンクスとかを普段の生活から考慮しがちな同業者が多いことを知っています。

 

いずれにしても僕は激怒している彼の心情をよく理解できたので、彼の痛みに同情を示して沈黙を貫きました。

戦友に手向けた一輪の花であり、黙祷であります。

 

しかし彼の怒りが高まるにつれ、部屋の中は緊張感に満ちていきました。

 

満ちていきました。

 

満ちました。

 

満ちたはずです。

 

満ちたはずなのに、おもむろにブラジル人がソファーから立ち上がり、またもやパチリパチリとテレビ画面を撮り出しました。

うわー すげえ

 

パブ、スタジアムのどちらであろうと、サッカー観戦においてタブーとされていものに 「It’s only a football match. (たかだかサッカーじゃないか)」というセリフを負けている側のサポーターに対して言う、というものがあります。

これをしてしまったら最後、暴力沙汰のケンカに発展しても文句は言えない、というものです。

 

彼女の行動はそれに引けを取らないものでありましたが、ソファーを立ち上がったのが絶妙のタイミングだったことといい、「カシャッ、カシャッ」というスマホのシャッター音と同時にPKが成功してしまったことといい、そこにコメディーじみた間抜けさも同時に感じてしまいました。

隣に座るクロアチア人も怒っているのか呆れているのか、無言で固まっています。

 

かようにして同点に追いつかれた試合は引き分けのまま終了し、終了してすぐにテレビを消して我々男性陣は二段ベッドのそれぞれの持ち場で、横になって共有すべく深い溜息を一つ吐きました。

ひょっとしたらマフラーのことを馬鹿にしたバチが当たったのかもしれません。

 

「男の友情、女が踏みにじる」ということにして、いつもと同じように「だって女のコだもの」という暖かみに変えたかったところですが(女の扱い 男の扱い - DubLog)、先日一緒にパブでサッカー観戦したクラスメイトの女のコが非常に気配りのできた人だった事実を思うと、この考えは女性に対して失礼になります。

 

「ゲイが」とか「ブラジル人が」とかも思いつきましたが、「女が」同様、やたらとカテゴライズするのは差別心の一つであることを反省し、またどちらにせようちのゲイのような無邪気(不躾)な人間がどのジャンルにもあまりいないことを考えると、きっとこれは彼女の特別な個性なんだな、という感想に落ち着きます。

 

落ち着きますが、そうするとこのままでは彼女個人に対して嫌悪感を持ってしまいそうなので、

「人間たちが一生懸命並べたドミノを飼い猫が容赦なく倒してしまい、怒るにも怒れない、がストレスは溜まるあのもどかしい感じ」

という少し強引なメタファーを持ち出して心を静めようと試みまました。

うちのネコちゃん、サミュエル似で正直ちょっとあれだけど。

 

ちなみにやはりあの写真はフェイスブックにあげられていました。

「2-2」と表示されたテレビ画面の写真がアップされていて

「私にはどっちの国にも出身の友だちがいるの。どうしたらいいの?」

だってやんの。

 

もう。

うちの仔ネコちゃんたら。