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愛すべきアバズレたち

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二人称に「おまえ」を用いることを否定する同調圧力が世に存在し始めて久しいですが、10年ほど前に姉側の甥っ子から「『おまえ』って言ったらいけないんだよ。(幼稚園の)先生が言ってたよ」と言われた時には思わず手が出そうになったのをグッと堪えて

「シン兄ちゃんほど優秀な教育者はこの世にいないから本当のことを教えてやろう。『お前』は愛と慈しみを込めた正しい呼び方だよ。今度先生が同じこと言ったらシン兄ちゃんの前に連れてこい。ひっぱたいてやる」

と、相手の肩を強めに掴んで脅したのを覚えています。

繰り返しますが相手は幼稚園生です。

 

教育の現場がどのような理由で「おまえ」を排除する動きになったかは知りませんが、原因はともあれ幼いころから刷り込まれてきたものというのは宗教や家庭内のルールと同じで、それぞれの個性になってしまうということはよく理解できます。

これと同類、というよりは延長上の話なのかもしれませんが、自分の伴侶に対して「奥さん」、「旦那さん」、と「さん」付けで呼ぶ習慣もしかりです。

 

個人的には二人称に「あなた」や「きみ」を用いることに、よそよそしさはもちろんのこと、状況によっては「おまえ」以上に不躾に感じることもあれば、自分のパートナーに対して「奥さん」、「旦那さん」と呼ぶ習慣に、無理した日本人の不適当なマナーを感じることもあります。

 

個人的にはこの風潮は好きでないものの、とはいえこの手の物は時代とともに変化していく類のものでもあると思っているので、十分に受け入れ可能な事案であります。

語学学校で、テスト対策のためのハイレベルな文法学習が主な授業内容となり、重箱の隅をつつくような言葉の整理整頓に少しばかりつまらなさを感じている現在の状況も影響しているのかもしれません。

 

というわけで受け手の基準に従って「おまえ」の使い分けをすることを受け入れますが、「おまえ」拒否が幼いころから刷り込まれてきた教育に起因する自然反応であることを「おまえ」使用者の我々が認める一方、「おまえ」使用も、幼いころから他者に「おまえ」と呼ばれ、他者を「おまえ」と呼んできた環境が作り上げた結果であることを「おまえ」拒否者にも理解してもらいたいところであります。

 

言うなれば「おまえ」使用の習慣は、言葉そのものの使い方と同様に方言と似たようなものであり、そこに卑下や威圧の意図は全くないということです。

 

僕の場合、「おまえ」という二人称は対等の関係性を持てる(持ってもいい)相手にしか使いません。

分かりやすく基準化するなら、呼び捨てで名前を呼べるような気心の知れた相手にのみ「おまえ」を用いるということです。

 

一方、世代によってはですが、自分及び相手の年齢、性別、上下関係にお構いなく「おまえ」を使い、何なら女性なのに一人称に「俺」を用いる地域なんかもあります。

我が父も見事にそういう地域の出身です。

 

これらのことから、僕が気を許した相手を「おまえ」と呼称することに正当な道理を見受けてくれる人もしばしば現れますが、ただ残念ながら、「アホ」や「アバズレ」に関しては「これは愛や尊敬を込めた表現だ」といくら相手に力説してもなかなか受け入れ難いものがあるみたいで、これらに関しては完全にこちらの言いがかり化してしまって、それを僕自身も認めています。

 

我が国には、「アホ」と言われることよりも匂いや年齢や体形の中傷の方をよっぽど忌み嫌う、逆に言えば「アホ」に寛容な姿勢を持つユニークな価値観があるものの、「アホ」本人はそう表現されることに時に過剰な拒否反応を示します。

20代の男女に「ジジイ」、「ババア」と呼んでも笑いで済まされることが多い一方、微妙なラインや本物のジジイ、ババアにはそうと呼ぶことすらもはばかれる、というのと同じ理屈かもしれません。

 

何度かこのブログにも端役で登場している「ウンコという単語で涙を流すまで笑ってくれるアホな後輩」が僕にはいますが、我が甥っ子が非常に丁寧で素直で文章に起こしやすいツッコミをよくしてくれるのと同様、この後輩も照れや躊躇や捻りの無い物言いで

「アホアホ言われたら悲しくなるのでやめてください」

と訴えてきたことがありました。

 

以前にも少し述べましたが(自然、この上なく不便で堂々としたもの 1 - DubLog)、アホとはつまり天然のことであり、天然とは自然であり純粋であり、言葉や道具というものを持ってしまった我々人類が蓄えと繁栄を覚え、文化や文明を作り、行きついた先が富と権力の欲求、あるいはそれに向けられた妬みであることを思うと、種の存続と自身が生きることそのものだけを「生」の動機にしているかのような自然界の動物たちは、なんて高尚で崇高なんだろう、という自然≒アホに対する尊敬と憧れを僕自身が大いに抱いている、ということを語ったうえで

「とはいえおまえは言葉を覚えちゃったからな。レベルで言うと『ペット化された動物』と同じくらいかな。つまりそこら辺歩いてる犬猫と一緒でさ、おまえも道端でウンコでもしてりゃいいんだよ」

と、彼に優しく説明してあげました。

 

そしてこれに対して彼が著しく反応し、涙を流すまで笑った、というのが件の「ウンコという単語で涙を流すまで笑ってくれる」の経緯と詳細であります。

 

このように僕には、小学生の男の子が好きな女の子をイジメてしまうような幼い愛情表現と同じで、仲のいい相手に対して愛を込めて毒を吐く嫌いがあります。

ただ、「アホ」はまだしも「アバズレ」にはなかなかの抵抗があるみたいで、そもそもこちらが相手に対して恋愛感情を持っていることを示したうえで、「アバズレ」には「積極的」、「社交的」、「勇気」、「本能に忠実」などの肯定的な印象を持っている、ということを伝えても、過去に直接「アバズレ」と伝えた相手は一人だけなのでデータ量は乏しいですが、やはり受け入れ難いものがあるみたいです。

 

そしてこれには僕も「方言」のせいにする強引さを持ち合わせておらず、純粋にこちらの口の悪さと幼さのみに非があると認めざるを得ないので、「おまえ」や「アホ」と同様に、この言葉も今後本人に向かっての直接の使用は控えようと思いますが、本人がいない場所での、会話や文章の上での使用をすることは今後も考えられます。

 

しかしこれは陰口ではなく、そもそも僕が言う「アバズレ」には蔑視的な元来の意味はなく、むしろ他意しかなく、先ほど挙げた「積極的」をはじめとする好意しか持っていないということを留意していただければ幸いです。

 

という、時間をたっぷりかけた言い訳が終わったところで本題です。

 

前々回までの話の中で、「好きでもない人にモテても意味が無い」発言に見られる高飛車と生ぬるさの非難を、「好きでもない人」の括りに入れられない人たちからモテた自慢話を元に試みました。(でも好きでもない人にモテても意味が無いじゃないですか - DubLog)

腹いせにも近い、思いっきり個人的な嫉妬が理由です。

おそらく羨望の裏返しです。

 

ただ残念ながら予定と違って、「この人に好かれたらかなり不都合だな/ビビっちゃうな/面倒だな」という相手の中で、「不都合だな」と「ビビっちゃうな」に関しては相手というよりはこちらが原因で喜べない結果に終わったことが明らかになり、優純不断や臆病をはじめとする我が人間性のショボさが露呈されただけの反省に着地してしまいました。

 

こうなると「ややカマトト」たちにケチをつける正当性も勢いも失ってしまった感が否めず、今回は挽回を試みて、「面倒だな」な相手についての話をしたいと思います。

 

まずは毒素の薄い、短めの話から。

先に結論を言っておきますが、またもや結ばれないエンディングです。

 

ロンドンに住んで一年が経とうかという時のこと、僕は韓国人の友人に誘われて、彼が通う専門学校が主催するイベントに参加しました。

イベントと言ってもDJを何人か呼んでパブを借り切って、韓国人だらけの仲間内で楽しむ、という程度のもので、来客数も200人くらいの小さなパーティー規模のものです。

 

ちょうど僕は指導者資格の初めての試験が終了し、特別な関係だった女のコとたまたま別れた直後というタイミングだったということもあり、試験後のリラックスと失恋後のリフレッシュを求めての参加でもありました。

 

人数の少なさに比例するかのように盛り上がりに欠けるイベントだったので、ほとんどの時間を、同じく招待されて一緒に来場した韓国人の友人2人とテーブル席で過ごしていましたが、パーティーの終了間際には重い腰を上げて彼らと一緒にフロアの方へと向かいました。

30代も半ばに差しかかったころの話ですが、汗をかきかき、20代の男女に混ざって僕も頑張って踊ります。

 

そうこうしていると、その頑張りが報われたのか、一人の韓国美女が韓国語で話しかけてきました。

ほとんどの時間を過ごしたテーブル席で、暇つぶしのために仲間内で話した、モテない男子たちがよくやりがちの「(会場中の全部の女のコの中で)どのコが一番かわいい?」の話題の時に、奇しくも僕が選んだベストワンの女のコでした。

 

同じ対象の国の人でも日本びいきとアンチに分かれますが、彼女の場合はどうやら前者だったようで、僕が韓国語の通じない日本人であることを理解した後は、場がはけるまでのその後の時間を英語での会話で楽しみました。

 

そして宴もたけなわ、こちらの縁もたけなわではありましたが、最後の曲が終わり店内も明るくなってお開きの時間になり、それぞれがクロークに預けた荷物を取りに行っている名残りの時間帯に、ちょっとしたざわつきが起こりました。

 

彼女に連絡先を聞かれたので、当時の連絡手段の主役がeメールの、当時でも時代遅れだった僕は、アドレスを紙に書いて渡してあげたのですが、その時に一人の韓国人男性が僕らの方へ近づいてきて、その美女を捕まえて激しく文句を言い始めました。

韓国語ではありましたが、非難しているということは理解できます。

 

あれ、カレシ持ちだったかな

と思いかけたのですが、その「カレシ」に対して彼女も激しく言い返します。

 

ずいぶん堂々としてるな、お国柄かな

と今度は思っていると、僕が渡したアドレスを男が取り上げて、ケンカは一層激しいものになりました。

 

カレシだったら何で俺には文句を言わないんだろう、という疑問も出てきたので、ケンカ中の二人に割り込んで、とりあえず疑問を口にしました。

 

「これ、カレシ?」

「違う、ちょっと待って」

「*************!」(韓国語でケンカ)

「じゃあ、知らない人?ストーカーとか?」

「違う。友達。ちょっと待って」

「*************!」(韓国語でケンカ)

「じゃあ元カレとか?」

「全然違う。ちょっと待って!」

 

彼女も忙しかったことだと思います。

 

というわけで今度は対象を男の方に変え、何事かと尋ねようとしたのですが、彼はどうやら韓国語しか話せないみたいで、言葉が通じません。

大声で怒鳴り合っているので、周りも注目しています。

見かねた僕のツレの韓国人二人が間に入ってくれて、やっとのことで、彼女と話す時間を確保することができました。

 

しかし質問にはきちんと答えず

「ごめんね。心配しないで。カレシでも何でもないから。またアドレス書いてくれる?今週末、時間が合えば会いたい」

とだけ言い、僕のアドレスを再度手に入れた彼女は下の階にあるクロークに降りていき、彼女とはそこでお別れとなりました。

 

僕らが話している間、ツレの二人もその男と話していたので、詳細を彼らに聞いてみると、どうやら男はその女のコのカレシの友達だったみたいです。

遊び癖のある自分の恋人を心配して、その夜は用事があって来ることが出来なかったカレシが、見張り役にとその男を送り込んだとのことでした。

 

結婚をしていない相手にそこまですることに、不健康さというか気の毒さを感じましたが、彼女も彼女で、カレシがいることを最後まで明言しなかったのでどっちもどっちです。

 

かくして、好きだった女性と別れた直後の一瞬の運の回帰に、一瞬だけ沸きあがり、一瞬で萎んだという出来事だったのですが、その時に僕は最も好きな映画の一つ、「トラフィック」を思い出していました。

ベニチオ・デル・トロがほぼ主演の、たぶんアカデミー賞も獲得している映画です。

 

ストーリーの中で、口を割らせるためにカルテルの人間を当局が拷問するシーンがあるのですが、拷問する当局側の会話の中で、最も効果的な拷問とは何かについて語っていました。

それによれば、一通りの拷問をした後「拷問の対象者を間違えていた」と相手に謝意を示し、暖かい食べ物やワインを振る舞って一旦極楽を見せてやり、そしてその後で再び「間違いが間違いであった」と拷問を一からやり直す、とのことです。

 

こちらはほんのひと時の“燃え上がり”、あるいは“浮かれ”で済んだので、ひどい落ち込みはなかったものの、再び僕のアドレスを取り上げられてしまったからなのか、あるいは翌日辺りに本物のカレシに叱られたからか、その後の彼女からの連絡は一切ありませんでした。

 

面倒な相手と関わりを持たずに済んでせいせいしたよ、と負け惜しみを言いたいところでしたが、しかし相手が美人だったせいもあり、自身の非モテ度に見合った、まあまあの未練は生まれました。

 

アバズレにモテると少なからずダメージを喰らうということを学んだ、シケモクみたいな思い出話です。 

この中でダメージを受けたのはたぶん僕一人だけなのに、この話、今度は僕の方にこそ罪はありません。

 

しかし根本的なことを言えば、僕は嬉しいストーリーの嘘が「実は嘘」と明かされた時に、嘘だったことに対して落胆するよりも、明かされる前までは楽しめたということに対して幸運を感じるタイプです。

というわけでこの時のぬか喜びも、その「ぬか」をきちんと楽しめたわけなので、これはこれでありがたい出会いでもあったということを認めざるを得ません。

 

 

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