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幸福について

極論 国際問題

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UEFA EUROも終わり、サッカーに沸いた街全体の熱気もサマーホリデーへの楽しみへと移行しています。

 開会に合わせて、街中の窓や外壁などのいたる所に取り付けられた大きな国旗や、屋根と塀を結んだガーランドに連なった三角、四角のアイリッシュカラーの国旗群もいい加減取り外されています。

 

それまでは一切テレビを見なかった僕ですが、大会開催中はここぞとばかりにウェイティングルームのソファーを占領して、可能な限りのゲームをチェックしていました。

自宅やパブ内だけでなく、街頭テレビのようにパブが歩行者向けに設置してくれたテレビで屋外観戦をしたり、授業中、先生の目を盗んでiPhoneで試合を覗き観たりしたこともありました。

 

その熱気に沸いたお祭りもまだも2、3日目かそこらの頃、ウェールズの初戦を自宅で観戦しながら、ルームメイトのクロアチア人と幸福論について話をしたことがありました。

 

ギャレス・ベイルというウェールズの世界屈指のストライカーのプレイを見て、自陣のゴール前から相手のゴールへ向かってボールを運ぶ一連のプロセスの中で、ユニット内やユニット間の連携ではなく、独立した個人の能力を戦術に組み込むことが出来る、戦術として算段が出来る、彼のようなタイプの超一流をレアル・マドリ―は最低でも3人抱えている、ズルい、というところから始まった話でした。

 

「レアルも試合に負けることがあるが、あれだけの条件がそろっていてどうやって負けられるのかが、逆に分からない」

これを受けてルームメイトは、どこまでが正しい情報かは分かりませんが、「でも大金のかかる彼らの獲得金のために銀行が無理な工面をして、それのせいでスペイン全体の経済が落ち込んでいる。若者の失業者数も一向に減らない」という旨のことを言いました。

 

ネット上の情報はどうか知りませんが、僕もクラスメイトのスペイン人から「若者世代の半分以上は、少なくとも合法的な仕事は持てていない」と聞かされたことがあり、ルームメイトの話には一考させられるものがもちろんありますが、その時僕が返した言葉は

「でも経済的に安定しているだけの国と、安定してはいないけど世界に誇れるスポーツ団体を持っている国の国民とでは、どちらが幸せか一概には言えない」

というものでした。(僕はスペインの誇りはレアルではなくバルサだと思っていますが。)

 

僕の周りの初海外生活経験者たちは、多くの割合で「海外(滞在している国)崇拝」になり、少ない割合で「日本万歳」になります。

サッカー関係者もしかりで、クラブに対して国や地域から助成金が出たり、チャリティーの文化が根付いていたり、学校教育の単位取得の仕組みが、サッカー選手に肩入れしているかのように思える実情を目の当たりにすると

「日本も見習うべきだ」

という感想を持つ方が多数派になります。

 

ちなみに僕はこれに対しては先ほどとは逆に

「でも見習ったせいで今の日本の経済、福祉、治安、その他諸々の水準は下がっていくかもしれないよ」

と、否定はせずとも釘を刺す反応は見せます。

僕自身は天邪鬼な方かもしれませんが、それが故の態度ではありません。

 

ある分野の人間がその分野での成功を志すとき、その分野以外の人間をも含めた、より多くの人間の幸福について考えないと、狭角的な利益に結実する恐れがある、という思いが先ずあるからです。

がしかし、これに照らし合わせると、先ほどの世界的に人気のあるサッカークラブに託したプライドで国民の幸福を賄えるかも、というアイディアは実に一元的な逆説にも聞こえます。

 

つまり僕はよく分かっていないのであります。

自分の考えが、というより世界全体やスペインに関してはもちろんのこと、多くの日本人にとっての幸福とは何か、すらも分かっていないのであります。

 

メディアなどを通した宣伝(営業)後の意思表示や、限られた中での消去法的選択、羞恥心や一般常識と呼ばれるものによって心に制限がかかった条件で望む利益や信条のことを言っているのではありません。

 

説くだけ野暮なのですが、心の好き嫌いの反応は、善悪の知識とは別のところにあるので、故に人様の幸せを考えることはおろか、自分にとっての幸せを考えることさえ、時に非常に難しく感じるのです。

 

話は変わりますが、幸せと言えば去年のちょうど今くらいの時期に、幸福大国デンマークに住むドイツ人の友人に頼まれて、彼女の友人二人を東京でガイドしたことがありました。

ガイドと言っても、ドイツ人の彼女と同じロウイング(ボート)クラブに所属しているデンマーク人カップルが日本に観光に来るとのことで、彼らの東京滞在時に、僕が知っているラーメン屋に連れて行っただけの話です。

 

新宿はゴールデン街にある有名店に行き、店の前に出来ている行列で待つ間、お互いの自己紹介や、出会い系サイトで知り合った彼らの馴れ初めは聞き終えて、しかし話し足りなかったのか、食事を終えて店を出た後も一杯引っかけようということで、歌舞伎町にある半屋台のような店の長椅子に腰を落ち着かせました。

 

「(ロウイングクラブの)みんなにはまだ話していないんだけど、実は彼女のお腹の中に子供がいる」という話の流れで、彼らの国の福祉の手厚さに関する話になり、僕自身は別に賛成していなくとも、挨拶のような辞令で「デンマークは幸福大国だもんな」という反応を示してあげました。

 

これに対して彼氏の方が

「でも幸せの感じ方は人それぞれ。リサーチの指数では人の幸せを測れない」

という真っ当な返しをして

「例えばスペイン人なんてあんなに酷い失業率にもかかわらず、いつも楽しそうじゃないか」

とも付け加えました。

 

それを聞いて僕は、この二人のガイドを僕に頼んできた、元々の友人の方、ドイツ人の彼女のことを思い出しました。

以前はただの友人でなかった彼女が、ただの友人になりゆく日の一場面です。

 

旅先のスペインはカディスで、非常にプラトニックでジェントルな出会いを果たした僕らは、お互いの国に帰国した後も連絡を取り合い、僕に興味を持ってくれた彼女が遠い国にもかかわらず、また短いスパンにもかかわらず、何度か日本に訪れてくれるようになりました。

 

そして僕もそれに応えるように、ロンドンに用事がある時は彼女が住むコペンハーゲンに必ず立ち寄り、二人きりの時間を楽しみました。

 

平坦な経緯なので詳細は避けますが、出会いから2年ほどが経った頃、端的に言えば遠距離が足かせになり、そして最終的には別れの時が訪れます。

 

僕が初めてコペンハーゲンに訪れたとき、空港から彼女のアパートに向かう電車の中で「図書館みたいな街」と表現したことがあったのですが、別れの朝も、彼女と二人きりのダイニングはとても静かで、少しばかりメランコリックな気分に浸っていました。

 

そしてお互い長いこと考えた末での決着の最後に、若い頃に読んだ日本人の詩をふと思い出して、下手くそに英訳したそれを彼女に聞かせました。

 

天国より地獄の方が餃子うまそう

おれ、天国行きたないわ

地獄行きたい

 

正確性には欠けますが、こんな内容のものです。

 

寒がりで痛がりで根性無しの僕は、およそ地獄で上手くやっていけるようには思えず、かといって玄米と有機野菜と、アルコールはあってブドウ酒くらい、というイメージの天国の生活にも、世俗の煩悩にまみれた僕が耐えられるとは思えず、それを伝えた後に、「俺は(当時コーチをしていた高校のある)千葉で頑張るよ」と言って、朝食を終えました。

 

そしてその後、彼女と一緒に空港まで向かい、そこで最後のお別れを噛みしめましす。

 

どうも自分のブロンドと青い瞳を誇っているフシのあった彼女に対して、一度

「んーでも個人的には黒い髪と黒い目の女が一番美しいと思う」

と不躾に告白してしまったことがありますが、一つだけ、その手触りの良さに関してだけは金髪の優位性を認めざるを得ませんでした。

 

僕は17年生きた母犬と18年生きた娘犬を、過去に飼っていた愛犬家でありましたが、その大好きだった我が愛犬を思い出させるような手触りを、悔しながら彼女の毛髪は持っていました。

 

最後にそのブロンドを撫でながら、しかしキスはせず

「このクオリティーをずっと保ってよ」

と言って、ハグをして別れました。

 

言葉での説明はあったものの、結局彼女の幸せが何だったのかは本当のところは分かりません。

野心や生きがいとは別に、自分の心が求めている物ですら自分でよく分かっていないのだから、当然のことかもしれません。

 

しかし、幸せにかかわるものかどうかは分かりませんが、生涯をかけたのんびりとした目標のようなものが、実は僕にはあります。

20代前半の頃から長いこと持ち続けているものなのですが、

「バイクに乗る」

「サーフィンをする」

「ギターを弾く」

という実に男の子らしい、分かりやすくてかわいいものです。

餃子は入っていません。

 

6年前に最後の愛犬が死んで以来、ペットロス症候群には一切かからず、代わりにそこに

「犬を飼う」

も加わりました。

 

最近では

「暖かい所に住む」

というのも加わりかけていますが、この年になってやっと、子どもこそが思いつきそうな人間の原始的な幸福を求めるようになっているということに気付き、そこに我が人間性に対する劣等感を持ち、自分の徳の低さもひしひしと感じてしまいます。

 

劣等感とは別ですが、そもそもが「この世で俺が一番幸せ」と思っている傲慢を多少なりとも謙遜しないことには、他人の幸せなんて考えられないのかもしれません。

 

まずは「自分が苦労知らずであるために他人の悩みが分からないのが唯一の悩み」というふざけた態度を改める、小さな第一歩から始めてみようかな、とぼんやり考えています。