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同じ方向を見るということ 2

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その時、私はロンドンにいた。

睡魔にまみれた生活を送っていた。

 

平日昼間はビザのための語学学校。

夜は週2回のセミプロのユース指導。同じく週2~3回のウェストハム(プレミアリーグ)での勉強。

土曜は朝からボランティアのジュニア指導。日曜はメインで教えているセミプロユースの公式戦。

そして土曜を含めた週5~6回、サッカーの用事が終わった後から深夜過ぎまで、長引くときは明け方近くまでナイトクラブでアルバイトをしていた。

 

最も繁盛する金曜の夜にシフトが入るのは当然のことで、そして繁盛するが故に閉店時間も遅くなる。帰宅時間が翌朝5時、6時などはざらだった。

そして土曜は前述のとおり子供たちのコーチがあるため、7時半には家を出なくてはならない。

9時過ぎから12時までかかるこのタスクを終えた後は、帰宅してから仮眠を取り、土曜をオフにしているマネージャーに代わって、ナイトクラブを仕切らなくてはならなかった。

 

加えて、土曜の子供たちの練習場所がBexleyheathという南西ロンドンの外れの、遠い場所にあった。

私はそこまでバスを乗り継いで、朝は1時間強、帰りは3時間弱の時間をかけて通っていた。

ちなみに行きと帰りとで所要時間が大きく異なるのは、土曜の早朝と昼間とでは交通量が、やはり大きく異なるからである。

 

というわけで、疲労のピークは毎週土曜日に訪れていた。

コーチングを終え、その後に待っているナイトクラブでのマネージャー業務を鬱陶しがりながらバスに揺られる帰路の3時間が、気分的には最も物憂げであった。

 

言葉の面でも資格の面でも、コーチングの現場での実績面でも、当然上手くいかないことは山ほどあり、それに肉体的疲労が拍車をかけているようであったが、ロンドンの、なかなか空色の見えない空の風情も、そのただれた閉塞感を手伝っていたのかもしれない。

 

とにもかくにも私はその時、帰路のバスの中にいた。

二階建てバスの、二階である。

 

外の風景をぼんやりと眺めながら、牛歩の如きにしか進まないバスを巻き込んだ交通渋滞を呪っていた。

場所にして、乗り継ぎ地のLewishamまであと少し、Greenwich Parkという広大な公園の前であった。

 

朝の「通勤」時には、私と同業のサッカー指導者と思われる男たちが簡易ゴールの設置をせっせとこなしていて、それを私はやはりバスの二階から眺めながら、彼らに向かって胸中で「朝早くからご苦労様です」と労いの言葉を手向けていた、そんなちょっとした想いのある公園である。

ひょっとしたら「朝早くからご苦労様です」は私自身に向けた労いでもあったのかもしれない。

 

時期は冬だったと思う。

大して天気も良くないのに、そして何といっても気温が低いのに、割と多くの人達が公園での午後の運動を楽しんでいた。

 

ランニングをしている者、ダンスの練習をしている者、もちろんサッカーをしている者たちがそこにはいた。

そして、2本の木の幹の低い位置にくくりつけたロープを張って、一人で綱渡りの練習をしている若者がいた。

当時は名前を知らない、スラックラインである。

 

そのラインの上に立ってバランスを取るだけで、その負荷の激しさに足が震えるくらい、実は見た目以上に体力の消耗が激しく、同時に体幹を鍛えられる有能な運動であることを知ったのは宮崎でバーテンに聞かされてからのことであり、その時は、何度も途中で「綱」から落ちる、少し背の高い白人男性の不甲斐無さに、ただただ軽い溜息を吐いていた。

 

別に何の願掛けをしていたわけでもない。

ただ、“彼”は綱の上のほぼ同じような場所で毎度失敗して落ちては“スタート地点”に戻り、その挑戦を繰り返していて、その様子に私は忍耐を感じていた。

そしてそれを眺めているだけの、私自身に強いられている忍耐をも感じ始めた。

 

こうなると、私と“彼”は協力者である。

あるいは共犯者である。

胸中で、勝手な戦友になり、サポーターになり、ストーカーになった。

 

がんばれ。渡り切れ。

 

バスはまだのろのろと動いている。

ほとんどの時間を止まって過ごして、約1分に1回、数メートルほど前に進んでいた。

 

遅い。

しかし、綱の上の“彼”の最長歩行記録の更新ペースの方が更に遅かった。

 

渡り切るべき彼の綱は、長さにして10メートルほどであったろうか。

その半分、大体5メートルくらいのところでいつも彼は落下していた。

 

そうこうしているうちに、牛歩といえども確実に前進しているバスは、綱渡りの景色を捉える角度を少しずつ変えていく。

彼の挑戦が少しずつ見えづらい場所へと移動しているということである。

窓に向いた私の首の角度も、斜め前から真横へと回転し、そして斜め後ろへ向かおうとしていた。

 

彼の成長は遅々として進まない。

また半分で落ちた。

逆にバスはボーナスを稼いだかのように、1分の間に2度、前進することもあった。

 

いつもなら、何ならこの日の最初も、呪っていたのは渋滞の方であったはずだが、いつの間にか心中は渋滞緩和を呪っている。

 

このままでは“彼”の「達成」を見届けられない。

サポーターとして、それは悔やまれる。

成功を見届けたいというのは、ファンの純粋な願いである。

 

そしてそうこうしているうちに、次の1アクセルでバスは別の木の陰に隠れて彼の綱渡りが完全な死角に入ってしまう、という位置まで来てしまった。

 

が、その時、ファインプレーが起きた。

 

彼が初めて綱の半分を超えたのである。

 

いいぞ。その調子だ。バカ!堪えろ!堪えろ!そうそう、その調子。両手でしっかりバランスを取って。落ち着いて。肩の力を抜いて。

 

肩に力が入っていたのはむしろこちらの方であった。

しかし大波を耐えた彼は、その後はゆっくりと、ではあるが確実に歩を進めた。

 

となると、気になるのは今度は時間である。

彼が7メートル付近に達した時、体感で、ではあるが、既に「規定」の1分を過ぎていた。

 

頼む、レフリー(運転手)!ロスタイムさえ貰えれば彼は必ずゴールを決める。もう30秒でいい。頼む!

 

がんばれ!まだ時間は充分にある!大丈夫、運転手は待ってくれる。慌てるな!

 

胸中で運転手に向けた懇願は“彼”を過大評価に、“彼”に向けた応援は運転手を過大評価にしていた。

 

しかし、いつ“彼”が落下してしまうかもしれないスリルと、いつ“レフリー”が笛を吹いてしまうかもしれない不安に、私は手に汗を握った。

 

慌てるな!いけるいける!あと3歩!・・・・・・あと2歩!・・・・・・あと1歩!カモン!焦るな!落ち着け!いける!カモン!カモン!

 

審判はまだ笛を吹かない。

もう、靴一足分でゴールの木に手が届く。

そしてそのときが訪れた。

 

いける!靴一足!伸ばせ!手ぇ伸ばせ!カモン!カモン!カモン!カモン!イィィィィィィィィィィイェ

 

「イエス!!!!!!!!!!!」

 

瞬間、後方から叫び声が上がった。

 

驚いて振り向くと、二つ後ろの席で5歳児くらいの女の子がシートの上に立ち、ガッツポーズをしていた。

その様子を見て、車内全体が拍手の代わりに暖かいざわめきを吐いた。

 

暖かい視線も微笑みもあったことだろう。

確認はしていない。

視線をすぐに窓の外の“彼”に戻したからだ。

 

ただ、自分の視線が向かっている方向以外の全ての方向から、綱の上の“彼”と座席の上の“彼女”に対する称賛の呼吸を感じていた。

そして、綱渡りについての会話なども周りからも聞こえた。

 

“彼”を“応援”していたのは私だけではなかったのだ。

 

綱の上では、片手は木に掴まりながらも、“彼”もやはり大きくガッツポーズをしていた。

たまたまかもしれないが、彼の体はこっちを向いていた。

ロンドンの曇り空の下、破顔の上に滲む吐息は白かった。

 

その姿をほんの1秒ほど確認できた後に“レフリー”は笛を吹き、彼の姿は見えなくなった。

ひょっとしたら運転手は、彼自身もこの挑戦を見物していて、タイミングを上手く図っていたのかもしれない、と思えるくらいの上出来なアクセルだった。

 

私は車内が持った一体感に幸せを感じた。

 

翌日の日曜日、公式戦が終わった夕方から、その当時毎週会っていた女性にその日も会い、最近何か変わったことが無いかと尋ねられて、この話をした。

 

洋の東西を問わず、だと思うのだが、付き合いが深まると女性よりも男性の方が口数を減らすような気がする。

私もこの例に漏れず、「いつも私だけ喋ってばかり」と嘆いた彼女が、私の話をねだったのだった。

 

「特に変わったことなんかないよ」に対し、「些細なことでもいいから」との彼女の要求から始まった話だったのだが、話し終えた後に

「あるじゃん!そういう話を聞きたかったんだよ!」

と、現場を見ていない彼女も幸せそうに笑っていた。

 

蚊とどちらが順位が上だったか、人間は人間を最も多く殺している生き物の一つだ、という話を以前聞いたことがある。

納得は出来る。

我々は「信じているものが違う」という理由で、同種の生き物を殺せるどうしようもない生き物である。

 

一方、バスの一件のような他愛もない出来事で幸せを感じることも出来る、やはりどうしようもなく単細胞で素直な生き物でもある、とも思っている。

 

ロンドンのバスやダブリンの水路における周辺全体の態度同様、人間界の集団反応や集団行動に、実は私は一定の希望を持っているのだ。

 

ということを再確認した、正確には私自身の楽観と理想主義を再確認した、ある晴天の週末の、有意義な散歩であった。