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DubLog

     

学びについて

サッカー 極論 教育

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UEFA EUROが終了して一か月が経ち、さすがに誰も話題にしなくなりましたが、個人的にはあの大会についていまだに思うところがあります。 

 

大会終了直後の感想が熱を帯びすぎていないか疑うために一か月という時間を要しましたが、どちらにしてもサッカーの話は長くなる傾向があるので、今度こそ専門的な話を極力省いてみるように試みます。

 

先ず、評論家のみならず多くの参加監督が言っていたように、大会全体の内容としては非常にレベルの低いものであったというのが僕の正直な感想です。

 

諸事情はあることだとは思いますが、端的に言えばお金をより多く稼ぐために試合数を増やしたかった、よって参加国数を増やした、よって前回大会までの参加国のチーム力の水準に達していない未熟なチームが多く参加した、というのが各方面が挙げている理由であります。

 

そのために非魅力的な試合の数が増えるのは必然でありましたが、それとは別に個人的に、嫌いな監督のいるチーム、ポルトガル(正義について - DubLog)が優勝したことに関しても、僕としては残念な大会になりました。

 

優勝チームが90分以内に勝利したゲームが1試合しかなく、戦績で言えば1勝6分けであった、と多くの評論家が非難していましたが、僕個人としてはその一勝(完勝)した試合、ウェールズ戦で、前言撤回をしなくてはいけないくらい積極的で魅力的な試合運びをポルトガルがしていただけに、何故それ以外の試合ではその能力を見せなかったのか、ということについての方が残念に感じました。

 

picture size(カメラが捉える範囲)のあまり大きくないスクリーン越しにも判る、ポルトガルの戦術的積極性と巧妙さが、攻守両面において前半から見えました。

自分たちの意図に沿ったゲームをしているのは明らかにポルトガルの方で、このままだとゴールを割るのは時間の問題のように見える中、前半が終了しました。

 

ただ、ここまでは試合前からもある程度想像がついていたもので、実は僕が優秀だと思っているウェールズの監督が他のオプション(プランB、フォーメーションやシステムのマイナーチェンジによる困難打開)をこのゲームで見せられるか、真価を問う一試合になるだろうと思っていました。

 

残念ながら戦術や仕組みではなく人(交代選手)で打開を図ったウェールズは、その交代のタイミングも人選も、そこから監督の迷いと未熟さが窺えるものになってしまい、結果も残念なものになりました。

 

反対にシフトチェンジをしたのはポルトガルの方で、前半の戦い方のままだったら勝利は固いだろうと思っていたのに、彼らはウェールズの監督が迷いを露呈するずっと前、後半開始から仕組みを変えてきました。

 

俯瞰図で見れば、守備時の重心が少し後ろに下がったので、素人目にはまた消極的なサッカーに見えたかもしれませんが、僕には監督の意図がよく分かり、事実それが功を奏したセットプレイから先取点も挙げ、試合も勝利しました。

 

というわけで監督の能力を認めはしますが、むしろ認めるからこそ、それ以外の試合では内容に意図を感じることの出来なかったこの監督に残念な思いを抱き、残念なこの監督のチームが優勝したことに対する小さな不機嫌が僕の中にはありました。

 

ただ、もとよりサッカー観戦をするときに、すでに娯楽などはそれほど求めておらず、むしろ学習に目的の比重を置いているのですが、新しい発見という意味でも、過去のユーロやワールドカップと比べても、その数は非常に乏しいものでありました。

 

学べたのは、イタリアとウェールズのフォーメーションと仕組みくらいのもので、僕は全体を通して40くらいの数の試合を観戦したのですが、学習的に見る価値があったものはその10分の1にも満たないほどでした。

 

と、ここまで、おそらくは多くの評論家と同じように否定的な感想を吐露しましたが、実はこの大会は、以前にも書きましたが、幸福についての追想をする機会を与えてくれたり(幸福について - DubLog)、それ他にもサッカーのアカデミックな観察以外の、教育観や人生観について考えるのに、僕にとてもいい機会をくれました。

 

結局個人的には、とても良い大会であった、ということです。

 

ところで僕には、尊敬する歴史上の人物の一人にマハトマ・ガンディーがいます。

日本語の本を数書読んだ程度のにわかですが、政治指導者としての彼も、経済に言及した語録から見る彼も好きです。

 

チェ・ゲバラもネルソン・マンデラも同様に好きですが、ことガンディーに関して言えば非暴力という手段を用いたところに他とは一線を画すものがあり、恐らくは民衆を扇動するには「暴力」という、目立ちとファッション性を持った受けのいいツールを使った方が事は早かったであろうことを考えると、個の人間の強さを示す能力の一つ、「忍耐力」と、それでも民衆を惹きつけて勝利を勝ち取ったリーダーシップに、他者に対するものとは違った種類の尊敬を持つことを禁じ得ません。

 

しかし一方で、非常におこがましい話ですが、書物から想像しうる彼の人間性に嫉妬を感じ、卑屈になってしまうこともあります。

ガンディーに限ったことではないのですが、事を成し得た偉人達の話を読み聞くとき、彼らが成し得た業績の方ではなく、勝手に美化して過大評価している恐れもありますが、彼らの人間性、主に自律性を羨んでしまい、比べることすら図々しいただの市井の民が「それに比べて俺のだらしなさといったら」と勝手に卑屈になってしまうのです。

 

ところでまた話が変わりますが、1995年から1996年にかけての一年間、僕はブラジルに住んでいました。

いつかの記事にも書きましたが、インターネットが普及していない時代での地球の裏側での娯楽は非常に少なく、自分が日本から持ってきた2、3冊の本も何度も読み返し、ついには表紙が擦り切れるほどでした。

 

そんなせっかくの環境下に自分がいることを慮って、自分の考えの幅を広げるためにも、日本に居たらまず読まないであろう本を読もうと、その時期、両親に頼んで日本から書物を何度か送ってもらったことがあるのですが、自分がリクエストした超有名な文豪たちの小説に交じって、当時、僕が読まず嫌いしていた自己啓発系の本も毎回送られてきました。

母親の、要らないものを送り付ける悪い癖はこの時から既に始まっていたということです(大人になるということ - DubLog)。

 

結局は自分が頼んだ分の本を全て読み終えて、中には2回目、3回目というリピートも終え、日本語に飢えていた僕は、ついには嫌いだった自己啓発本の一つに手を伸ばすのですが、その啓発本、五木寛之著の「生きるヒント」の中で、著者がアウシュビッツで生き残った人たちの手記に関する話をしていました。

 

20年以上も前の話なのでうろ覚えですが、過酷な環境下でも仲間同士で毎晩こっそりとジョークやユーモラスな話を話し合った、そういう人達は生き残り、過酷な現実に笑う余裕など無かった人達が力尽きてしまった、という話でした。

つまり、特殊な環境下で、生死を分けたものは栄養や健康ではなく、ユーモアであった、というような内容のことだったと思います。

 

ストレスが胃に穴を開ける医学的理屈を聞いたことがありますが、それと同じようにこれらの脳や心や気持ちと呼ばれるものと体の関係も、理と知で文章化できるのかもしれません。

 

ただ僕は「なぜ?」の行きつく根源の部分において、もっと言えば“人体の不思議”よりも“生命の不思議”みたいなものを、他の多くの人と同様、宇宙の不思議と同じくらい不思議と考えています。

 

というわけで誰にも上手く解明できない、そして扱いの非常に難しいこの手のものは、過去の記録、結果、あるいは歴史をベースに言うことにすると、

「ユーモアだけでは生きられなかっただろうが、合理だけでも不十分だった」

であり、言い換えれば

「規律だけでなくゆとりも」や

「理屈だけでなくひらめきも」や

「イズムだけでなくパンも」や

「正義だけでなくズルも」や

「理想だけでなく現実も」であります。

 

これらのことから考えると、おそらくガンディーを始めとする世界中の自律性に富んだ歴史上の偉人達も、実は書かれていないだけで、あるいは僕がまだ読んでいないだけで、まあまあのサボりやビビりを日常的に行なっていた、という可能性が考えられます。

 

ものすごい広いくくりで言うと、小汚い生活を強いられている小汚いOLが、SNS上では充実ライフをかましているステキ女子を演じているのと似たようなもので、発信されていない側面まで、ある程度の自分の好都合も有りきで構わないので、見る必要があるのかもしれません。

 

そういう僕だって、若い時は必要以上に自分を苦労人に見せてきたし、逆に今は苦労知らず自慢を繰り返しています。

 

というような数面性、あるいは物事のバランスというものを考えた時に、「有り方」よりも「数字」へのこだわりを主に見せた指揮官がいるポルトガル代表が優勝したことにも何らかの摂理があったのかもしれません。      

 

そもそも以前の記事でも述べたように、選手に関して言えばポルトガルは大会を通じて僕にとっては魅力的でありました。

魅力的な選手が多くそろったチームが戦術の面白さや積極性とはあまり関係が無く、優勝したということは、個人能力の重要性が高まり、今後、戦術に個人技有りきのチームが増えるかもしれないということでもあります。

素人目に見ても面白いサッカーが増える可能性もあります。

 

この優勝を経て、ある程度の特権を得たポルトガルの監督も今後、ウェールズ戦で見せたような能力の高いサッカーを追及するか、あるいはこれで味を占めてサッカーファンをがっかりさせるサッカーを続けるか、そしてそれを攻略する正統派の監督たちが巻き返すか、あるいは新たなサッカーが台頭するか、今後の歴史が証明することでしょう。

もしかしたらFIFAがまたルールを改定することだってあるかもしれません。

 

という、僕自身が選手時代に陥った、「勝ち負けが全て」というファッション性の高い思考に囚われた選手たちに出会った時に、いかにその折衷案を探っていくか、あるいは「戦い方が全て」という生真面目な選手たちに出会った時に、いかに自ら手本としてカッコ悪いところを見せてやれるか、ということを考えるのに、非常に有意義な大会になりました。

 

となると後はイズムとパンのバランスだけであります。

理想と現実のバランスであります。

有り方と数字のバランスであります。

 

一週間の労働と休暇の日数のバランスと同じく5:2か。

あるいは自分がたまにホームレスに恵んでいる小銭とそれ以外の全ての出費の割合か

 

などと、行き過ぎの嫌いがある思考の迷子へと陥りもしましたが、そしてこれについては端折りますが「たぶんこれくらいでこういうことだろうな」の割合と条件が今は少しずつ見えてきています。