友だちというもの
ただ今、オリンピック開催中でありますが、ここダブリンでは驚くほど盛り上がっていません。
自国の参加選手が少ないからでしょうか、パブで流すスポーツ放送も、最近シーズンが開幕したお隣イングランドのプレミアリーグが主役の座についているのはもちろんのこと、何ならプレシーズン中ですら、フレンドリーマッチにオリンピックが負けていたという有様です。
一応日本でも、きちんとサッカーのワールドカップの方を世界最大のスポーツ祭典と見なしてはいるものの、オリンピックもそれ相応の盛り上がりを見せているので、少し物足りなさを感じますが、この拍子抜けを初めて経験したのは4年前のロンドンオリンピックの時でありました。
3年近く住んだロンドンをオリンピック開幕の直前に発ち、ヨーロッパと南米の計4カ国11か所に訪れた後、閉幕直後に日本に帰国しました。
2カ国目のスペインはカディスに滞在していたときにオリンピックが始まりましたが、その次に訪れたコロンビアともども熱心なビューアーはおらず、最後に訪れた国、ブラジルで男子サッカーの決勝がかろうじて話題になっていたくらいでした。
僕自身もテレビで観たものと言えば、開会式で日本選手団が登場するタイミングのところと、コロンビアはカルタヘーナにいた時に観戦した男子サッカー準決勝で日本がメキシコに敗れたところくらいのものです。
もともとは3年間のロンドン滞在時に唯一した旅行が、その当時の連れ合いに頼まれて一緒に行ったウェールズまでの日帰り観光のみ、という行動不足に対する反省と、3年間ろくな息抜きもせず資格勉強のために頑張った自分に対する労いを込めて、ロンドンで知り合った友人たちに会いに行くのが目的でした。
ただ、旅程を立てている段階で、日本でも徐々に浸透していったfacebookの恩恵を受けてか、元カノからfriend requestが送られてきました。
そこから刺激され、僕も彼女の真似をして、フルネームを覚えている、その当時から数えて16年前のブラジルの友人3人をfacebook上で探すことになります。
そのうちの一人が幸いにもヒットして、嘘かホントか「もちろん覚えてるよ。お前との写真、いまだに俺の部屋に飾ってあるよ」との返答から彼とのやり取りが始まり、最終訪問国であるブラジルでは、ロンドンで知り合った友人たちだけではなく、スケジュールが合えば彼にも会いたい、という願いを込めての旅路になりました。
この彼(ホニ)が、かつてはクロアチア・ザグレブでもプレイしていた友人であります。(マイノリティーの本領 - DubLog)
ちなみにデッカォン(違いを見せた大国の「人類みな兄弟」 - DubLog)はニックネームであり、フルネームどころかファーストネームも知りません。
残念ながらその当時まだ現役のプロサッカー選手だったホニは遠征に参加していたため、サンパウロで他の友人宅で過ごしているときに、彼との再会は実現しないことが分かったのですが、代わりに彼は有り難い情報を僕にくれました。
「ジェアンはたぶんまだBandeirantes(我々が住んでいた町)に住んでるよ。行ってみたら?」
というものです。
このジェアンという男が内開きのドアを開けたまま大便するユニークな彼であります。(自然、この上なく不便で堂々としたもの 1 - DubLog)
ただ、これ以上の情報はホニも持っておらず、facebookでも見つからない、メールアドレスも電話番号も自宅の住所も知らない、という状況であり、「じゃあどうやってあいつを見つけるんだよ」と尋ねると
「着いたらストリートで通行人に聞きゃいいじゃん」
との返事が返ってきました。
何て大ざっぱな、と正直思いましたが、あの小さな町ならそれも可能かも、と思い直し、長距離バスでその町に向かいます。
が、Bandeirantesに着いてから半日かけて聞き込んだものの全くヒットせず、心配したホニが、彼がその町にいた時に知り合った、パラナ州の教育事業だったかスポーツ事業だったかの有力者を僕に寄越してくれて、最終的にはその彼のおかげでジェアンとの再会を果たせることになりました。
Bandeirantes到着翌日、歩道を歩いていた僕を追い越しざまに、速度を緩めた有力者の車に乗ったジェアンが助手席から、覚えていたことをアピールしたかったのだと思いますが、僕の名前をフルネームで呼び、停車すると同時に車から飛び出して僕と固いハグをかわしました。
そして二言目に「おまえのスニーカー相変わらず汚ねえのな。16年前と変わってねえのな」が飛び出します。
そこからその町を離れるまで、何ならプロサッカー選手から床屋に鞍替えした彼の店で、彼の仕事中も店のソファーでゴロゴロしながらお喋りを楽しむくらい、ほぼ付きっきりで1日半という時間を過ごしました。
その間に「おまえ、もうここに住めよ」という誘いを受け、断った代わりに、後に控えているブラジルワールドカップとリオ五輪での再訪を目標にしましたが、残念ながらどちらの目標も叶えられていません。
このような感じで、なかなか感慨深い再会を経験し、感傷に引きずられながらの帰路に就くのですが、サンパウロから経由地のメキシコシティに向かう機内で読んだメールマガジンで、その前日が終戦記念日であることを知りました。
一応自分では自分を愛国者だと思っている僕は、感謝を胸中で捧げることも平和に対して祈ることもしなかった、その“すっぽかし”を恥じ、遅ればせながらの黙とうを暗い機内で一人でこっそりとしながら、しかし同時にその一か月の旅を振り返っていました。
何度も申し上げている通りの「出不精」だけが理由ではなく、充実感や疾走感といったものに中毒症だった僕は、特にこの中学生趣味な懐古な巡り旅に「推進力というか勢いみたいなものを濁されてしまうのではないか」という、つまりはネガティブな予想を持っていて、とは言え、ロンドンで出会い、別れを告げた友人たちに「会いに行く」と言ってしまった手前もあっての、旅路のスタートでありました。
しかし、推進力うんぬんに関する結果は反対でした。
その旅中、5つ目の場所、スペインはマドリーで、かつてのフラットメイトを訪ねました。
ガサ入れの夜、「こっちは明日もはえーんだよ!」と我々を叱りつけた、あの彼女であります。(インプットとアウトプットのバランス - DubLog)
たまたま主が帰省中で空いているという部屋が彼女のフラットにあったのでそこを借り、何日かの間を彼女と一緒に過ごしました。
「日本語での名前の候補を」と以前に彼女からfacebookを通して頼まれたことがあったので知ってはいたのですが、少し前から飼っている猫も、そのフラットに同居していました。
就寝時には彼女の部屋を追い出されてしまうその猫は、文字どおりの猫っ可愛がりをする僕の部屋に来てベッドの上に乗るので、飽きるまで一緒に遊んでやっていました。
翌日、彼女との再会二日目、わざわざ休みを取ってくれた彼女は、僕のマドリー観光に付き合ってガイドをしてくれます。
それまでに訪れた他の友人たち同様、非常に親切な態度で僕を迎え入れてくれて、住処の件同様、これもありがたいものでしたが、二人でのその市内観光中、ちょっとしたざわつきが起こりました。
スペイン語で書かれていたので、細かい内容はよく分かりませんでしたが、胎児のピクチャーが描かれたビラをストリートで配っていた若い男に、彼女が食ってかかり、やはりスペイン語だったので内容は分かりませんでしたが、そこから激しい口論が始まりました。
元々短気でヒステリックなところがあった彼女だったので、最初は僕も「またか」程度の反応しか見せませんでしたが、そのうちその口論は、通行人が振り向くくらいの立派な「ケンカ」に発展しました。
ケンカの最中に彼女は涙まで流しました。
日差しの強い夏の日だったので彼女はサングラスをしていましたが、それ越しにも分かるくらいの涙でした。
ビラ配りのお兄ちゃんと離れた後も彼女の興奮は収まらず、激高の理由を僕に捲し立て、そこで彼女が不妊治療で苦しんだことを知りました。
スペイン語なまりの早口だったため、詳細は聞き逃しましたが、最終的には彼女は子どもを産むことを諦めて
「だから代わりにネコを飼うことにしたの」
と告白しました。
旅というものに関して、旅人本人は自分本位の世界に浸れる、いたって幸せな存在です。
迎え入れる側からしたら、その旅人の訪問というのは、嬉しい、面倒臭いに関係なく、暮らしの中にひょっこり浮かび上がる異物のようなものです。
ただ、その時の一か月の間に訪れた僕の友人全員は、おもてなしの心を持った非常に優しい人達だったので、僕がそこで過ごした時間のほとんどを幸せなものにしてくれました。
ブラジルでのジェアンとの再会から再離別までの時間を、僕はストーカーのように付きっきりで過ごしましたが、付きっきりで過ごしたがゆえに、ポジティブな感情だけではなく、彼のイライラや悲しさや、ストレスなるものを、時折り見ることが出来ました。
僕が生きていくうえで、大きなテーマの一つになっているものに「公平さ」というものがあります。
それのせいか、大きな目標を掲げる時、出来るだけ広い範囲での人々のために、という動機をその目標に結び付けます。
簡単に言えば「世の中のため」という使命感を持つということです。
しかし一か月の旅中で、スペイン人の元フラットメイトやジェアンの言動に代表されるように、「僕の大好きな友人たちの言動に僕自身の感情が委ねられている」という当たり前のことを再確認しました。
ということは逆に、彼らの“幸、不幸”も僕の“幸、不幸”に幾分か影響されてしまうということでしょう。
ならば「世の中のため」だけではなく、面倒臭いけど大好きな友達のためにも僕は頑張らなければなりません。
実はジェアンと再会した直後、有力者と3人で入ったレストランで、興奮冷めやらないジェアンが
「おまえとは二度と会えないと思っていたから、おまえは俺の中では死んだのと同然だったんだよ」
と、僕に言いました。
僕が20歳の時、ブラジルを離れる際に思っていたことと、全く同じことです。
「ここ(ブラジル)で積み上げてきた人間関係を全て捨て、地球の裏側に帰る。この先の繋がりが二度と望めないなら、それは自分の中では彼らが死んだことと同義ではないか」
しかし本当の死別と違って、生きてはいるけどもう二度と会えない、と思っている離別には「もう会えないかもしれないけど」という枕詞に続いて、願いに近い感情が生まれます。
面倒だったので、それをジェアンには伝えませんでした。
薄情で怠惰な僕のような人間は、先人たちの悲しみや嘆きに心を傾ける機会も、あるいは彼らへ感謝する機会も年に一度くらいしかなく、それのみを動機に毎日、他者に対して良い人でい続けようというのはなかなか難しいものです。
「もう会えないかもしれないけど」頑張れよ。
頑張らなくてもいいから、笑顔でいろよ。
笑顔でいなくてもいいから、生きてろよ。
こっちも生きて、出来れば笑顔でいて、出来れば頑張るよ。
と、このように友人というものは、それがプレッシャーにならない程度に、怠惰で薄情な僕が毎日を生きる上での、大きな助けになっています。
facebookとインターネットの違いが分からないくらいの、僕をはるかに上回るIT音痴のジェアンとは、以来、連絡を取り合っていません。
が、彼の3人の子供は僕のfacebook friendであります。
10代で父親になったジェアンの長男の、今日が誕生であることがfacebookから知らされました。
年齢は書いていなかったけど、確か僕がブラジルにいた間に奥さんは妊娠していたので、そこから計算すると20歳です。
友人本人には一切連絡しないけど、その子どもたちのバースデーコメントを年に計3回送っている、というその内容と頻度は、おそらくは薄情者たちのあるあるだと思います。