DubLog

     

不良の実態

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4月に学生ビザで再入国して以来、語学学校に通い続けています。

 今年1月の法改定により、非ヨーロッパ人にとっては何かとゆとりのない生活を強いられていますが、その一つに語学学校のコース途中にホリデーが取れないことと、コース途中でも出席率が既定のものより大幅に下回ると、当局からのチェックが入り、最悪の場合は強制送還となる、というものがあります。

 

というわけで、あれ以来(若さを保つ秘訣 - DubLog)宿題はビタ1回たりともやっていませんが、授業自体は比較的サボることなく通い続けています。

 

残念なことに、一番レベルが高いクラスからスタートしてしまったため、そこからステップアップすることがない、つまりはクラスが変わることがないのですが、他の学校の生徒に聞くところ、クラスは変わらなくても生徒のマンネリを防ぐために短い周期でローテーションするという担当の講師も、うちの学校は変わっていません。

 

よって飽き性の僕にとっては望ましくない状況だったのですが、先日、うちのクラスの講師が2週間ほど失踪しました。

臨時の代替でうちのクラスを受け持つことになった他の先生たちも、彼からの連絡が学校に届いていないので、休んでいる理由が分からないとのことでした。

 

そんな素敵なストーリーに首を突っ込ませてくれることもなく、結局2週間後には何事も無かったように彼は戻ってきましたが、彼がいない間、日替わりで訪れる講師たちの、異なる授業スタイルを拝見できたのは有り難いことでした。

 

大抵の先生たちは、生徒全員に、名前と出身国くらいの簡単な自己紹介をさせてから授業に移るのですが、一人だけ、その自己紹介のさせ方がユニークな先生がいました。

 

「自分や自分の周りに関すること、過去に起こした出来事をいくつか紙に書き、その中で一つだけ嘘を紛れ込ませる。その一つをクイズ形式でみんなに当ててもらう」

というものでした。

 

この手の話になると、みんな一番の自慢話や一番の失敗談を並べがちですが、やはり経験値というものは年齢に比例するのでしょうか、クラスで最年少の20歳のスペイン人が書いたのは

「昔、お母さんに家から追い出されたことがある」

とか

「大学の専攻を途中で変えたことがある」

とかいう可愛いものでした。

 

実は僕には、洋の東西を問わず、みんなが驚いてくれる自慢話が2、3あります。

しかし洋の東西を問わず自慢話はあまり好かれないことを知っているので、よほど親しくなった人間にしか話しません。

 

失敗談は腐るほどありますが、男の失敗談は“飲む打つ買う”とケンカの中のどれか、と相場が決まっていて、女子受けが悪いのはもちろんのこと、男だらけの酒の席で、打ち解けるためのはずの武勇伝披露をしたところ、5歳ほど年下の後輩たちをドン引きさせてしまったことがあり、やはりその手の話もお昼の語学学校での話題には向いていません。

 

環境のせいでこうなったのか、僕がこうだったから類が友を呼んだのか、判断しづらいところですが、現代の若者が「煙草はダサい」というイメージを持つようになった経緯が、逆説のように聞こえるかもしれませんが、我々青春時代の少年たちが「煙草はカッコいい」と思うようになったそれと結局は一緒で、ファッション性や同調圧力というものがふんだんに絡んでいるのではないかと思っています。

 

つまり、かつて美人姉妹の姉が言ったように、「全員不良か気持ち悪いマジメっこか」(でも好きでもない人にモテても意味が無いじゃないですか - DubLog)だった時代背景に、ある程度の責任を転嫁できる猶予みたいなものがあるのではないかと考えています。

 

とはいえ、僕は同調圧力に屈してタバコを喫っていたわけではないし、周りがドン引くような良くないこと経験していようとも、変な言い訳ですが「不良」であったわけではない、と自分では評価しています。

 

不良にも色々あり、知人の極悪非難を挙げたらキリがありませんが、何故か憎めない、どこか抜けている不良が、言葉を変えればアホな不良が有り難いことに僕の周りには何人かいました。

 

「あの高校の卒業生、全員○○○」

と言うとちょっと大袈裟な、実際は「あそこの組のほとんどがあの高校の卒業生で構成されている」くらいのものですが、そういった高校の卒業生の一人が、以前僕がマネージャーをしていたバーのシェフとして働いていました。

 

僕自身が不真面目な店長だったのであまり人のことは言えませんが、ある日、仕事終わりの明け方に、閉店後のバーで従業員のみんなと飲んでいたときに、何の流れでだったか僕が

「うちはみんなアル中みたいに飲むし、俺以外は全員タバコも吸うけど、○とか○○○とか、そういうの、やらないところが偉いよな(別に偉くない)」

と言いました。

 

すると

「え、私、○○○○やってますよ」

「俺、○○育てたことありますよ」

と、思わぬ返事が返ってきました。

 

「育てたことがある」と言ったのは、卒業生に○○○の多い、シェフの彼であります。

 

インターネットが普及していない時代のことですから、どこまでが合法でどこからが違法かもよく分かっていませんでしたが、これ絡みの事件が日本で多発して社会問題になり、「観賞用に種を購入することは合法」という訳の分からない屁理屈な法律を知るのはこれよりだいぶ後の事であります。

 

どちらにしろ「育てる」ことは道徳的にも法的にもよろしくないことではないのか、と、中途半端な不良が多かった、その場にいた他の従業員たちがこの話に食いついたのは当然の流れでして、不良ですらなかった、いい年して不良に憧れているだけだった僕も、この話に大いに興奮しました。

 

「どうやって種を入手したの?」

「七味(唐辛子)からです」

「え!?七味にそれの種が入ってんの?」

「今は入っていないやつの方が多いですけど、たまに入ってるやつもあるんですよ」

「じゃあ、その七味さえ見つければ、誰でも栽培できんの?」

「そんなわけないじゃないですか。ちゃんと火を通して種を殺してから商品化されるんですよ」

「じゃあダメじゃん」

「まあ基本はそうなんですけど、ただ、結局は人間のやることですから、ミスがあるんじゃないか、と思って。

で、その当時、1か月くらい、飲食店を回ってそのタイプの七味をしらみつぶしに探して、見つけたら種を全部取り出してコップの水の中に入れて。

火で炒ってあるから種は全部浮くんですけどね、中には沈むやつがあるんじゃないかって。

沈むやつが、火の通りきっていない、まだ生きているやつじゃないかって」

「それで?」

「最終的には2粒だけ沈む種を見つけました」

「すげえ!!」

 

辿り着くべき目標とその手段はひどいものですが、発想力と行動力はなかなか見上げたものです。

実際、厨房における彼の仕事ぶりもこの武勇伝に見合い、とても能動的かつ積極的だったのを覚えています。

 

「でも素人のお前がどうやって育てたの?」

どうせ知り合いの“卒業生”から教授してもらったんだろう、という予想を持って尋ねた質問には思いがけない答えが返ってきました。

 

「シンさんちの近くに図書館あるじゃないですか。あそこで栽培のしかたが載っている本を借りたんですよ」

「え!普通の市営の図書館にそんなもの置いてあんの!?」

「はい、意外と盲点でしょ」

 

繰り返しますがインターネットが普及していない時代のことです。

そのバーで唯一パソコンを持っていたのが僕で、そのOSも確か、その当時でもだいぶ古かったwindows95だったと思います。

 

「結局、育てるにあたって肝となるのが、気温なんですよ。で、色々考えた結果、自分の部屋の押し入れを一つ開けて、そこの壁中にアルミホイールを貼って、蛍光灯で照らして暖めたんですよ」

 

この話をしている時点では、彼はまだ親元を離れたことがない青年でした。

つまり、この栽培も、実家の押し入れで行なっていたということです。

 

「この管理が結構大変でね。種は二つしかないから一度に失敗したら終わりだと思って、一つずつ試しました。そしたら案の定、最初の一つ目は失敗しちゃって。でもそこからきちんと学んで改善して。そしたら二つ目はきちんと育ってくれて」

 

Plan, Do, Seeとリスク管理のきちんとできた、真面目なんだか不真面目なんだか分からない男です。

しかし気になるのは、そろそろ差しかかっているクライマックスです。

 

「で、最終的にはそれをどうしようと思ってたの?個人的な趣味?それとも金儲け?」

「ツレに○○組とコネのあるのがいて、そいつに頼んで金儲けできないかな、と思って」

「でもあそこ、○○○はご法度だろ?」

「表向きはね。しかも俺のは○○○じゃなくて○○だし。いや、俺も詳しくは分かりませんよ。そこまで込み入ったとこまで全然話も行ってなかったし」

「て、ことは・・・」

まあ、おまえは現在ここにいるわけだし。

「失敗に終わったんだ?」

「はい」

 

ここでその場にいた全員が浅い息を吐きます。

 

「なんで?交渉失敗?さすがにプロ相手は厳しかった?」

「いや、それ以前の段階です。いや実はうまく育ってくれてたのに、おとーさんに見つかっちゃって。押し入れ、勝手に開けられて、ちょー怒られて」

 

暴力や違法のプロとの交渉に臨もうとしている、バイタリティー溢れたワルの、「おとーさん」に怒られて頓挫する野心。

何このシュールギャグ。

 

(うわー)

ここで全員が深い溜息を吐きました。

そして全員同じようななあきれ顔で座っていたソファーに首をもたれ、実に脱力した態度で天井を見上げました。

 

しかし我々のその“どっちらけ”に気付いた彼は慌てて、無駄な悪あがきよろしく、しかし“焼け石に水”、いやむしろ“火に油を注ぐ”に近いセリフをイキがりながら後付けします。

 

「いや、でも俺も逆に“親父”に超キレてやりましたよ。

『てめえ、なに勝手に人の押し入れ開けてんだよ!』

って!」

 

蛍光灯とアルミの反射でさんさんと輝く、開け放たれた押し入れの中には一鉢の法律上よろしくない植物、という非日常の前で、ザ・日常である親子喧嘩での「なに勝手に押し入れ開けてんだよ」。

何このシュールギャグ。

 

全員また長い息を吐き、僕も最初は周りの態度に合わせていましたが、その風景を詳細に想像してしまって、最後には一人、少しだけ笑ってしまいました。

 

この時からすでに病床に就いていた彼のお父さんは、この話の少し後に他界されるのですが、そのお通夜で合掌しているとき、胸中で

「愛すべきアホを、道を踏み外させないでくれてありがとうございました」

と感謝を述べました。

 

僕がそのバーを去って以来、彼とは長く音信不通でしたが、数年前にとある居酒屋で偶然再会を果たしました。

積もる話に花を咲かせましたが、最も嬉しかった報告は、その時一緒にいた女性が少し前に結婚したばかりの彼の奥さんであった、ということです。

 

結婚までの経緯も、現在は真っ当な職場でそれなりの充実した生活を送るようになったアレコレも、彼らしく、根の真面目さや積極性が活きたものであったと聞き取れました。

 

もちろん、僕は違法行為を推奨するわけではないし、「昔はワルだった」自慢も今は好きではありませんが、ルールよりマナー派の僕は、白黒つけずに愛せる不良というものを何人か知っているので、他人の非行に心狭く非難する自分を見つけた時には、こういうことを思い出すように努めています。

という言い訳は少し身内びいき過ぎるでしょうか。

 

ちなみに冒頭の授業での自己紹介クイズ、僕が出したのは

 

・あることで取材を受け、いくつかの新聞で紹介されたことがある

・ハリウッド映画の撮影に参加したことがある

・有名なDJの通訳をしたことがある

・銃口を向けられたことがある

・前科がある

 

というものでした。

 

この中から嘘であろうものを一つ選ぶわけですが、どういうわけかクラスメイトのほとんどが「前科」を選びませんでした。

 

たぶんそういうジョークです。