自然、この上なく不便で堂々としたもの 1
平熱な毎日を送り続けているもう一つの理由は「周りにアホがいないから」というものです。
おそらくこれが一番の理由です。
月一ペースでサーフィンをしに、吉祥寺から千葉の実家に帰ってくる僕を、ブラジル在住だと思い込んでいて、尚かつ、ダライ・ラマを「ダライラーマン」というヒーローだと信じている、小5の甥っ子が僕にはいます。
三十路にもなって「う〇こ」というワードで涙を流すまで笑ってくれる後輩もいます。
こいつはしょっちゅう迷子になります。
ブラジル時代は嫉妬にかられた元カノにスーパーカブで轢かれたチームメイトがいて、轢いたほうの女のコとも友達でした。
男の方は後にサンダルを万引きして、チームをクビになりました。
同じくブラジル時代、一番仲良くつるんでいたボランチの友人は、内開きのドアにしがみつき、便座の上に両足を踏ん張り、しゃがみながら大便をします。
力んでいるマジ顔がシャワールームの全員から丸見えです。
こちらの立ち位置によっては「家政婦は見た」のように右半身だけが晒(さら)されている、しかし家政婦ではなく、一心不乱なラテン人に遭遇することになります。
ホラーを通り越して怪奇現象です。
ちなみに4年前、彼と再会したとき、彼はインターネットとフェイスブックの違いを理解してくれませんでした。
ペルー時代は、常に鼻毛を蓄えていて、かつ超早漏の友人がいました。
ファーストネームが暴君マラドーナと同じ「ディエゴ」とだったいうところに、何かグッと来るものがあります。
ロンドンでのフラットメイトには、大事なところですぐに肩が脱臼する、間の悪いコロンビア人もいました。
彼のツレもなかなかのもので、初めて見た雪に心躍らせて、誰に頼まれたわけでもないのに、通りを2ブロックほど上半身裸で疾走していました。
こいつの方がよりアホで、表面上ジェントルマンな僕は、脱臼したもう一人を心配している風に接しているのにも関わらず、彼は横で馬鹿笑いをします。
罰として僕に腕立て伏せをさせられていました。
小中学校時代の同級生に、よくう〇こを漏らし、よく鼻血を出す、まんま「ハナヂ」という呼び名の同級生がいました(「ハ」にアクセント)。
ちなみに彼には、校内一ケンカっ早いのに校内一ケンカが弱いという、究極のギャップ萌えなチャーミングポイントもあります。
中一の冬の朝、別の同級生がトイレで排便に失敗して(詳細は拒否)、しかしその子がいじられキャラでなかったため、あるいはみんな思春期を迎えてその手のネタには辟易していたためスルーしていたのにも関わらず、今まで散々いじられる側だったハナヂは「今度は俺の番だ」と言わんばかりに満面の笑みを浮かべ、奇声を上げ(これは普段から)、茶色い残骸が残るトイレまで激走しました。
匂いのせいかあまりの興奮のせいか、あるいは全力疾走のせいか、もしくはその全部が原因か、彼は茶色い汚物の上に自分の黄色い吐しゃ物をぶちまけるという、もはや伝説を飛び越えて神話になるであろう話を、後でゴシップ好きのヤンキーたちに報告してもらいました。
黄色と茶色。カラーコーディネートだけで言えばプリンと一緒ですが、もちろんどちらの意味でもそんなに甘い話ではなく、トイレから一番近いクラスという理由だけで1年4組が事後処理に負わされ、朝のホームルームが潰れたそうです。(ちなみに茶色の責任者は5組、ハナヂに関しては一番遠い1組。)
とまあ、他にも挙げればキリがないほどアホたちに囲まれた豊かな毎日を過ごしてきましたが、この短時間にシモがらみの話が3つも出てきたのは、時代と性別のせいだということにしておきましょう。
つまり、僕ら世代の男は全員「昔はワルだった」のと同様、女子や他の世代の男子が微塵も笑わないこの手の下ネタを、誰しもが持っているということだと勝手に定義します。
「傷まみれの」ならぬ、「クソまみれの青春」です。
それと彼らの名誉のためにも言っておきますが、僕の中で「アホ」は「馬鹿」と一線を画すものであり、「アホ」に対しては畏怖や尊敬の念に近いものを抱いています。
それは「アホ」が上手いこと「天然」と意訳された通り、僕は彼らに、自然物や動物に対する感情に近いものを持っているということです。
話が逸(そ)れに逸れて前置きがながくなりましたが、本来話したかったことは、最近、語学勉強のために参加したミートアップ(サークルみたいなもの)が開かれたバーで、この手の天然の香りを嗅いだという話です。
つまり朗報です。
相手はフランス人です。
女のコです。