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DubLog

     

言ってみる価値があるもの

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何の根拠も下調べも裏付けも無い話なのですが、アイルランドの教会は他の国の教会に比べてとんがっている、と感じます。

外観の話です。

主に屋根です。 

 

南米で見た教会は、その土地のランドマーク的な大聖堂などは別としても、ほとんどのものは外壁の素材がコンクリート風でカラーも暖色系の物が多く、いい意味で安っぽさを感じさせる小学生の工作テイストだったような気がします。

 

イギリスに関しては、隣り同士ということもあり、ホントは多くの教会はアイルランドのものと同じだったのかもしれないのですが、有名な大聖堂、St. Paul’s Cathedralのあの丸っこい屋根のせいでイギリスの教会全体のイメージまで丸みを帯びてしまいます。

 

アイルランドは今年、後のアイルランド独立戦争にも影響を及ぼすアイルランド史上最大の事件の一つ、イースター蜂起から100周年の年にあたり、メディアや街中のポスター、垂れ幕などを通してその情報を多く得られるのですが、そのせいかダブリナーの友人たちのイギリスに対する態度に、勝手に好戦的な感情を邪推してしまいます。

 

僕が生まれる前に活躍した日本有数の名ジャーナリストが、(当時はまだ存在しない)ユーロトンネル建設の話が持ち上がっては消えるのは、ドーバー海峡を飛び越える高度なミサイルが開発されているのにもかかわらず、トンネルのせいでドイツ軍がイギリスに攻め込みやすくなる、という先の大戦から続くイギリス人の国民感情が根底にあるためではないか、というようなことを言っていました。

 

真偽はともかくその意見にならえば、アイルランドの尖った教会たちが建設されたときの年代とその当時の外敵が主にどの国家だったのかは面倒なので調べませんが、敵に攻め込まれた時、

「いざとなったらこれで刺しちゃうよ」

というアナクロにイキがった国民感情、というか国民性が当時のアイルランド人にはあり、デザインや利便性からだけではなく、彼らの生き様や意気地を象徴してあんなにも屋根を尖らせたのかもしれません。

 

という大胆予想を、サッカーのグランドに向かう時に通る名も無きの教会の尖った屋根に不気味さを感じるたびに考えてしまうのですが、建物の内側に関しては、南米のような気軽に入れる安っぽさが無いので、アイルランドではまだどの教会にも入ったことがありません。

 

インターネットという言葉すらまだ聞いたことが無かった20年前のブラジル時代、あの頃の外国は本当に外国で、娯楽といえば他の町に住む日本人留学生や日系人経由で手に入った書物、あるいは数カ月に一度だけ送られてくる手紙をボロボロになるまで読むことか、逆に手紙を書くことくらいしかありませんでした。

 

週に一回の休みをいつも寮の中で過ごすのも芸が無いので、かといって貧乏だった僕はカフェやバールに入ることもできず、基本常に解放されている教会に勝手に入り、そこで手紙や本やCDの歌詞カードなどを読んだりしていました。

 

その行為にはコンビニでトイレを借りる以上の気軽さがあり、ある時は本を読んでいて気付かぬうちに人がわらわらと集まって、知らない人の結婚式が始まりかけたなんてこともありました。

 

結婚式とは知らずに「騒がしいな、何か始まるのかな」くらいの気持ちで正面口から出ようと大きな扉を開けたら、そこにはみんなが待ち構えていた花嫁と花婿が立っていて、気まずい思いをしたことを覚えています。

 

そこいくと、3年近くも住んでいたロンドンですら前述の観光地、St. Paul Cathedralくらいにしか中に入ったことは無く、ヨーロッパ全体でいっても合計で3,4回くらいしか教会の中を拝見したことがありません。

 

これはゴシックやらロマネスクやらのあの仰々しい石造りの取っつきにくさが原因で、一度ローカルの友人のガイドで北フランスの穴場的観光スポットを回ったことがあるのですが、非常に外観の美しい、しかし狭い路地裏にポツンと位置する教会に着いたとき、「車停められないし駐禁が怖いから」という事情で友人を車内に残して一人でその教会の中に入ったのですが、穴場すぎて中は人っ子一人おらず、怖くなって車で待つ友人の元へダッシュで逃げたなんてこともあります。

 

何が怖かったのかというと、普段、科学の恩恵に懐疑的で、科学では理解できないことや自然物に身を寄せながら生きることを良しとしてカッコつけているにもかかわらず、科学で解明しづらい神や念の存在を、同じく科学で証明しづらい死者の魂とか霊とかと同じラインで扱うぶしつけな傾向が僕にはあって、その時も言ってみれば「おばけが怖かった」のです。

 

ほんの数年前の話ですが、大好きだった女のコとやっとの思いで二人で出かけるチャンスを手に入れ、何せ大好きなコですから嫌煙家の僕は彼女のヘビースモーキングにも笑顔でやせ我慢していたのですが、話の流れの中で彼女に霊感があることを知り、それが理由で泣く泣くその恋をあきらめた、というくらいの幽霊嫌いであります。

 

「霊感があることをアピールするコって苦手」というと普通は「霊感という優劣が付きづらい代物で自分の特異性を主張するやり口が苦手」という人が多いと思いますが、僕の苦手のベクトルは真逆で、「その霊感を信じているからこそ苦手」というものであります。

 

若い時分にはしばしば霊的存在のものに遭遇し、よく金縛りにも遭い、昼でも夜でもそのたびに目を閉じて彼らが居なくなるまでの時間をやり過ごし、超がつくほど寝つきがいいという特技も活かして運よくそのまま寝落ちた時は、起きてから「なんだ、夢だったか」と無事にすり替えてきました。

 

結局寝落ちられなかった時も全て含めて「あれは全部夢だった」と、怖いから言い切っているのですが、一度、一週間くらい連続でその類の夢を見たことがあります。

 

その幽霊週間の最後の晩、毎晩の恐怖と緊張で焦燥しきったギリギリのところで、金縛りのせいで声にならない声を腹から必死に振り絞って

 

「何だよ!ここ俺んちだぞ!!」

 

と幽霊に向かって怒鳴りつけました。

 

するとその叱咤に応じるようにその幽霊はすぐに消えてくれて、そしてそれ以来、その類のものには一切遭遇しなくなりました。

いやあ、言ってみるものです。

 

百歩譲って、仮に百歩譲って、それらが夢じゃなかったとしても、不法侵入を主張する人間側の言い分を素直に受け入れてそれ以降姿を見せなくなった人の好さ(霊の好さ?)に鑑みると、どちらにせよ僕の前に現れる幽霊は大人しめのヤツです。

ま、全部夢ですが。

 

かくして若かりし頃は「怖いもの知らず」風にイキがっていたくせにその実は極端な小心者で、幽霊にも神様にも仏様にも過剰に畏怖していたわけですが、逆にこのように小心者であったからこそ「怖いもの知らず」だとうそぶいていたのかもしれません。

弱い犬ほどよく吠えるというやつです。

 

そう考えると、イギリス人自身が「アイルランド人は我々に比べてフレンドリー」と認めているくらい親しみやすいアイリッシュがいくら教会の屋根をミサイルのように尖らせたところで、そこには何か思春期の中学生が背伸びをしているようなカッコつけ、あるいは遠吠えを感じるのです。

 

かくして僕は「類は友を呼ぶ」ということわざどおり、この愛すべき国民性に引き寄せられて今もなお住み続けているわけですが、ただでさえ少ないダブリナーの友人たちに歴史の不勉強を叱られそうだし、国全体で盛り上がっている100周年に水を差しそうなので、ここは一つ、グッとこらえて、この思いは僕の胸に留めておくことにします。

 

 

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