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「少年の心を持った人が好き」という厄介

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数週間前、ドライヤーが壊れました。

渡航前に日本で散髪して以来、伸ばしっぱなしにしている髪がなかなか乾かないので、日本人の美容師がダブリンにいないかググりましたが、残念ながらヒットしません。

 

ブラジルやペルーで現地の美容師の実力を思い知っていたので、日本人以外には切ってもらいたくありません。

タイミングよくロンドンに行く直前の出来事だったので、昔使っていたクラシファイドで見つけたロンドンの美容院で切ってもらってからダブリンに戻ってきました。

 

次の散髪までの期間を考えてかなり短くしてもらったのですが、それのせいで薄くなりかけたオデコが露わになろうとも、白髪がちらほら目立とうとも、外出前のセットはものの10秒で終わります。

 

僕は自分で自分のことをナルシシストの部類に入る人間だと認めていますが、それでも鏡の前でのセットにあまり時間をかけないのには明確な理由があります。

 

ほとんどの人間が、録音越しに聞く自分の声(=他人が聞いている自分の声)が、自分が知っている自分の声よりカッコ悪いと思っているのと同様、自己ベストの表情や角度を作りがちな鏡の中の自分より、他人が見る自分はそこから3割くらいブサイクになっているというふうに踏んでいます。

 

僕は日本で高校生にサッカーを教えていたことがありますが、思春期真っただ中の彼らの中には、部活前にもかかわらず、鏡の前で必死に前髪を整えているユニークな選手もいました。

 

汗や風でこれから乱れに乱れまくるのに、と微笑ましくなりましたが、この“自分が思っている自分の姿と他人が認識している自分の姿にズレがある”ことを、SNSの写真でも確認することができます。

 

僕は、多くの日本人男性同様、自撮りというものをあまりしませんが、友人がアップした写真の中に見る自分の出来栄えに、やはり「3割ブス理論」の正当性を見つけます。

 

「写真うつりが悪い」とか「ビデオ映りが悪い」と言う人がいますが、これはスポーツ選手の、たまたま出た“実力以上のプレイ”を自分の本来の実力と思い込み、普段の実力に戻ったときにそれを”スランプ”と言ってしまう、基準の置き所を間違えてしまった主張に似たところがあります。

しかし実はほどんどのスポーツ選手がこうであることを考えると、なかなか正当な自己評価というものは難しいものなのでしょう。

 

ただまれに、僕の友人が撮る僕の姿に、鏡の前の僕が知る自己ベストを超えるものがあります。

それらは決まってカメラに目線もポーズも向かっていない自然体のものです。

 

となると、意識していないときの方が鏡の前で意識しているキメ顔に比べてダサくなるという「3割ブス理論」と全く正反対の結論に落ち着きそうですが、リラックス時に撮られた自然体のものでも、鏡の前より「3割ブス」なものはたくさんあります。

 

ところで「何かに夢中になっている男の人の顔って素敵」という使い古された言葉がありますが、「スポーツ選手や芸能人が格好良くみえるのは、彼らにとっては仕事中の姿を見られているからだ」という言葉との互換性に鑑みると、基本的に「仕事を一生懸命している人の顔はカッコいい」ということになります。

 

ちなみに「いつまでも少年のような心を持った人が好き」という言葉もありますが、本物の少年とは、あっちの歩道にある中学校の第二グランドのフェンスまで、こっちの歩道からサッカーボールをノーバウンドで届かせたい一心でひたすらにアスファルトの上でボールを蹴り続けて、意地になり渾身で振り抜いたはずの約100球目、右足の爪先が地面に引っかかり捻挫する(我々は「地球蹴り」と呼んでいた)、そして楽しみにしていた次の日のマラソン大会にドクターストップがかかり一人寂しく見学する“しん少年(小3)”のような、そんな人物のことであります。

 

世の女性たちの言葉を借りれば、いかんなく発揮した「少年のような心」と「夢中」がピークに達したのは、地球を蹴った右足がグネった正にその瞬間であり、大声をあげながらアスファルトに倒れ込み、痛みにあえぎながら涙をこらえる姿に「素敵」な要素も「好き」になる要素も入り込む隙は皆無に思えるのですが、僕は間違えているでしょうか何を言っているんでしょうか話を戻します。

 

幸か不幸か、昨シーズンの一年間、僕は仕事中の自分の姿をちょいちょい写真に収められていました。

所属していた大学サッカー部の公式サイトにマネージャーブログを載せているのですが、公式戦の度に更新する試合の様子を、選手たちの奮闘する姿が収められた写真に加えて、試合前後やハーフタイムでのミーティングの様子もアップしていたからです。

 

それらに写っている自分を見る限り、仕事中の僕はお世辞にも格好いいとは言えません。

試合前やハーフタイムでは作戦ボードを抱えたただの真面目なオジサンだし、試合後の集合写真では焦燥しきっています。

選手が中心なので試合中に僕が写ることは少ないですが、あってもたいてい後姿です。

 

少し専門的な話になりますが、サッカーのコーチというのはゲーム分析やチーム分析をするときに、フォーカスするチームを自チームか相手チームかの一つだけに絞り、ボール周りの「Primary」、直接次のプレイに関わりそうな「Secondary」、ボールから遠い「Tertiary」を同一視野で捉えなくてはいけません。

 

よって俯瞰視を要されるため、おそらく顔はぼーっとした感じになっているので、どのみち正面から写されていたとしても、その画は不美なものになっているはずであり、「仕事を一生懸命している人の顔はカッコいい」の公式に当てはまらなくなります。

 

さて、友人がSNSに上げた、僕がカッコよく写っている数少ない写真の正体ですが、それらの被写体はバーで飲んでいるときのものであったり、ピクニック時のものであったり、と状況はまちまちですが、どれも視線が女性に向かっています。

 

年下過ぎて恋愛の対象にならないブラジル人や彼氏がいるコロンビア人など、いわゆる“別に狙っていない”女のコ相手に向けた表情ですが、それでもだらしなく弛緩した顔面がナイススマイルを作っています。

これが好きなコに向けたものだったらと思うと我ながら可能性の広がりを感じます。

 

SNSという言葉すら知らなかった大昔、最も付き合いの長い幼馴染みと飲んでいたときに、何の話の流れでか

「おまえは仕事の話をしているときだけはカッコいいんだけどな」

というようなことを、その幼馴染みに言われました。

 

世の女性が言う「仕事中の男の人って素敵」に通ずるものがあります。

 

が、それに対して

「何言ってんだ。俺は女のケツ追っかけてる時が一番いい顔してるんだよ」

と返しました。

 

あれから15年近く経って、SNSという文明の利器と友人のナイスショットにより僕の言い分が正しかったことが証明されたわけですが、そもそも他人の評価と自分の評価が違うなら、このただれ切った笑顔の写真をカッコいいと思っているのは僕だけかもしれません。

 

この判定は新たな15年が経ったところで科学の進歩では解決しないのであろうことを考えると、もうこれは言ったもん勝ちです。

 

「男の人って仕事をしている時よりも、女のケツを追いかけてる時の方が素敵」

 

Facebookで見る限り30代から現在の、少なくとも“しん中年”に関しては。