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DubLog

     

日本人という外国人

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市街地から徒歩圏内にあり、かつては最悪の治安だったが今は多少マシになったエリア(フラットメイトのゲイ談)にある僕の家は、大型スーパーマーケットの裏に位置します。

どこに出かけるにもそのスーパーの前を通っていくのですが、壁や建物の落書きの多さが治安の悪さに比例しているのかのごとく、必ずこのスーパーの前にも幾数もの犬のフンが転がっています。

 

その犬のフンたちを避(よ)け、今日は英会話学校が開催するフリークラス(無料授業)に出席してきました。

 

そもそもアイルランドは日本人の絶対数が非常に少なく、英語環境に身を置くにはとても適していている国ですが、さらに探せば毎日どこかの語学学校で開かれているフリークラスの他、無料のミートアップ(サークル)や€1で受けられるMethodist Churchの英語授業がある等、金銭的にもありがたい国であります。

 

1年間だった学生ビザの最長期間が、先月半ばから8か月間に変更してしまいましたが、年齢などの理由でワーキングホリデーは取れない、しかし出来る限り長い期間滞在したい、という方には、観光ビザで入国して最長滞在可能期間の3か月間、無料の勉強機会を最大限に生かしつつ、安くて良質な学校を探し(お試し受講を受け入れている学校も多数あり)、3か月後に学生ビザで入国し直す、というのもお勧めの方法です。

 

ちなみに、観光ビザから学生ビザに切り替えるときの再入国の必要性がサイトによって書かれていることが違っていたり、アイルランド出国から再入国までの最短期間を設けていて、かつ出国先がイギリスだと再入国できない恐れがある、と書かれているものがあったり、また銀行に預ける金額が€3000と書かれていたり、英語のサイトでは€7000だったり、とわからないことが多かったので、先日、直接Immigration Officeに足を運んで尋ねてきました。

 

答えは

出国と再入国は必要

イギリスだろうがOK 好きなとこ行け

期間もおまえの好きにしろ

€3000

でした。

 

正直に状況も話したところ、こういう人は南米人に結構多いみたいで普通のことだそうです。

 

さて、その観光ビザの滞在期間を最大限に生かすため、今日もフリークラスにやってきたのですが、語学学校には語学教師になるためのコースもあり、そのコースの生徒たちに現場研修をさせるために、学校側にも自校の生徒や僕の様な外部の人間を呼び集める必要性があります。

 

つまりWin-Winの関係なわけですが、あえて不完全さを挙げるとすれば、現場研修の教師は言わば見習いなので、その力量に物足りなさがあることと、参加者に初級者や中級者が多く、レベル分けが上手くいかない、というところでしょうか。

 

ちなみに1回ごとの授業なのでどうしても教わるテーマはランダムになりますが、だいたいどの学校にも授業の運び方に共通する型があって、最初に数枚の絵、もしくは写真を見せる、それらに共通するトピックを見出させる、それについてペア、もしくはグループで話し合う、文章を読んだり音声を聞いたりして問題を解く、という大まかな流れに沿って授業が進められます。

これはロンドン時代に通った語学学校にも共通するものでした。

 

ちなみに今日のテーマは「Technology」。

 

“Facebook、text messaging、smart phones、video messaging(eg:Skype)、video games、online shopping、video streaming sites(eg:YouTube)

上のリストから「私たちの生活に有益なもの」と「私たちにとって良くないもの」に分けなさい。“

 

という問題を2、3人のグループで話し合うのですが、僕は他の南米人やヨーロッパ人の生徒がどのように答えるのかをだいたい想像できます。

 

そして想像通り、コミュニケーションツールを「必要」に、娯楽を「不要」に分類していました。

 

蔑視や差別の誘発をしないように気をつけなくてはいけないところですが、僕は「アメリカ合理主義」を「イスラム原理主義」と同じく、宗教みたいなものだと思っています。

どちらが良くてどちらが悪いというものではありませんが、この二つは相性が悪く、盲信度で言ったら二つとも同じくらい高いものだと思います。

個人的な好き嫌いで言ったら「どちらもあんまり」ですが。

 

そして外国人とのディスカッションの大抵の場合に置いて、より広い範囲で流行っている「アメリカ合理主義」をベースとした意見交換が行われます。

 

例えばロンドンの語学学校で

 

「動物の捕獲についてどう思うか」

 

というトピックがありましたが、これに対しての答えは、趣味でのハンティングはアウト。食用はセーフ。でも個体数の少ない動物はアウト。動物園はセーフ。研究や種の存続に一役を買うための捕獲もセーフ。

というように、彼らは安定した70点の正解を導きます。

 

「自己満足のない満足は無い」と言ってしまえばそれまでですが、「ハンティング」も「種の存続」も人間側の満足や都合が軸にあるという考えを元に、「全てセーフ」もしくは「全てアウト」と答えるひねくれ者は皆無でした。

 

同じく

「生まれる前から自分の子どもを遺伝子操作できるとしたらどうするか?」

の質問には、大抵の常識人が「病気は取り除いてあげたいけどそれ以外は」と答える中、

「その病気にも何かしらの運命的な意味があるんだから、それすらも遺伝子操作したくない」

と答えたのは一人だけでした。

 

そして、それに対して

「でも子供が生まれる前に病気の存在を知った。そして遺伝子操作でそれを取り除けるという選択肢も与えられた。これの運命的な意味は?」

と返す生徒はいませんでした。

 

もちろん、語学能力的な都合で話を広げるのが面倒くさかった、授業中にそんなに深い話をしたくない、などの理由もあったかもしれませんが、この手の話を深く掘り下げる議論好きは、南米やヨーロッパより、日本に多いような気がするのは、たまたま僕の周りに、暇なツッコミ好きが多いということでしょうか。

 

「日本人ほど日本人論が好きな民族はいない」なんて言葉もありますが、そもそも細かいところをつついて広げるのが、いいか悪いかは別として、日本人は得意な気がするのですが。

 

そう考えれば「ペットに顔をなめさせるな。動物として扱え」なるエゴの往復みたいな意味不明な欧米かぶれ発言も、一定数の日本人が賛美する外国人のエチケットも、実は日本人の公共でのマナーや道徳心に比べればまだまだ、と思ってしまうのは、千代田区の電気街にバンダナ的ファッションでつるみ、彼女いない歴が年齢と同じ男性たちが言いそうな

「セッシャが女だったら、絶対あんなチャラ男じゃなくてオヌシと付き合ってるぞ」

「いや、セッシャだったらオヌシを選んでるぞ」

的、微笑ましい会話と同じで、単なる自画自賛で内向的な感想なのでしょうか。

(公共でのマナーに関しては、神経質すぎる嫌いもあるので、手放しで褒めたくありませんが。)

 

授業が終わり、そんなことをボンヤリと考えながら帰路につきましたが、ただ僕は、スーパーの前の歩道を、犬のフンを避け避けせっせと歩くとき、「我が国ではありえない」と、日本人の美意識をどこか恋しく思ってしまうのです。

 

そして僕はこれを勝手に愛国心と呼んでしまうのです。

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