DubLog

     

「振り返り」が教える、期待していなかった自分らしさ

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このブログでの初めての記事にも少し書きましたが(男は女が必要(A Man Needs A Maid) - Dub Log)、ブログ再開を決意した元々のきっかけは、非常にお世話になった方々への近況報告の手段として「ブログを」と促されたから、というものであります。

  

しかし僕なりに抑えたつもりが、目上の方に送る報告書としてはあまりに普遍性に欠けるし、何より育ちの悪い話が多くなってしまったので、結局このブログの存在を告げずに、ライン報告をすることに決めました。

お、現代っ子っぽい。

 

ともあれ、タイトルの仮題感からもわかるように(Dub Log=ダブログ/ローカルふうに言うならドブログ、「ダブリンの記録」の意)急いで書き始めたブログだったため、開始のあいさつ文も自己紹介もおろそかにしていたことに気付き、今さらながらですが、自分のプロフィールをまずは細かく下書きしてみました。

 

2歳 交番で保護される。迎えに来た母を「知らない人」と頑なに偽ったため、親子であることを証明するために母が半日間奔走する。周りの大人たちも慌てさせる。

3歳 よくうんこを漏らす。漏らしたときはエレベーターに乗ってはいけないというマナーが自発的に芽生える。

4歳 吹きさらしのゲームセンター(屋根だけある屋外の敷地に、当時ですらどうしようもないゲームが2、3台と、ガチャガチャが2、3機あっただけの場所)のガチャガチャの受け皿を兄と一緒に壊す。

お金を入れてレバーを回すと、商品のオモチャが入ったカプセルがダイレクトに地面に落ちて、購入者の股抜き越しに、なだらかに傾いた歩道をそのカプセルが転がってくる仕組み。

そのカプセルを踏みつけ、「ボクのガチャガチャ知らない?」と事情を知らずに振り返って尋ねてきた子たちを「知らない」とはね付ける、ガチャガチャカツアゲを考案、実践。

4歳 人生初にして唯一の万引きを経験。以来3年ほど「俺は地獄に落ちるんだ」というドブ暗い人生を送る。

4歳 かなりの頻度で小学生とケンカ。毎回泣かされるが、一度助けてくれた女子小学生に恋をする。

4歳 例のゲームセンターで、ルーレットマシーン(縦長で薄いタンスの様な形)を斜めに傾けると、コインが出てくることが判明。軽く傾けるつもりが、しくじって倒れたルーレットマシーンに兄が挟まれ、大いに慌てる。

4歳 同じ幼稚園の女の子と人生初デートをする。恋をする。

5歳 毎日のようにスカートめくりをする。

5歳 毎日のように先生のズボンを下ろす。

5歳 毎日のように先生の着替えを覗く。

5歳 幼稚園から消防署に通報する。先生方が丁重に謝る。

5歳 自宅から110番にイタズラ電話をする。お巡りさんがウチに来るも、その前に「芋ほり」のバスに乗り、トンズラ。母が丁重に謝ったらしい。

5歳 幼稚園の窓ガラスを割る。

5歳 何故か小雨の日に授業(?)をさぼって、落ち葉をかき集めて、枝を回して火おこしを試みる。むろん失敗する。

5歳 「しんくん専用」の「折檻棒(体罰用の棒)」を園長先生が作る。

5歳 よく親が呼び出しを喰らう。

5歳 ケンカで怪我をさせた相手に、大らかな時代であったにもかかわらず、菓子折り持って詫びに行く。

5歳 キャンプファイヤーで寺尾聡の「ルビーの指輪」をフルコーラスで歌いきる。場が静まり、炎の音だけが聞こえる。

5歳 スカートめくりが行き過ぎて、ある日、好きな女の子のパンツを下ろしてしまう。以来、燃え尽き症候群におちいる。

5歳 女子たちの誘い水(誘いスカートめくり)に、付き合い9割で乗ってあげる。このあたりから接待スカートめくりが増え、心が汚れる。

6歳 無事卒園。

6歳 卒園したのにまたガラスを割る。

 

ここまで書いていて、何故カツアゲはOKで万引きはアウトなんだろう、というのは別として、我が性癖を紐解いたルーツみたいなものをこのプロフィール(?)から感じ取ってしまいました。

 

「世の中には2種類の人間がいる」と言う人間と、言わない人間の2種類がいる、というのは使い古されたパターンのジョークですが、世の中の、少なくとも日本人の中学生以上の男子が必ずされた/したであろう二択の質問に

「女性の胸部と臀部(でんぶ)のどちらにより興奮を覚えるか」

というものがあります。

 

ちょいちょいの頻度で来る

「いやあ、俺はむしろ足フェチです」

「ぼくは二の腕とかに結構弱いです」

みたいなカマトトでゆとりな生ぬるいセリフを聞くたびに

〈ママゴトやってんじゃねえんだよ!二択っつったろ!〉

という理不尽な怒りを、理不尽なのでグッと抑えて、僕は自分が「根っからのケツ派」であることを、ある時期まで一途に告白してきました。

 

ところで、僕は長いこと教育業に従事してきましたが、指導者としてまだ駆け出しのころ、日本サッカー協会の指導者資格コースで与えられた「指導者に送る〇か条」みたいな言葉の一つに

「自らも精進すること」

というものがありました。

 

以来、自分なりに自律性を重要視し、長、中、短期のピリオダイズ化した計画表やそれを元に作ったチェックシートなどを、セルフモチベートや行動の改善に役立ててきました。

 

自分なりに嬉しい向上、改善があったので、教え子たちにも「サッカーノート」や日記などによる自己の振り返りを勧めてきましたが、2歳時までさかのぼった振り返りは、我がことながら初めてのことで、なるほど、10代~30代前半の「ケツ推し」はこの幼児体験をルーツとしているのか、と新しい発見もあり、感慨もひとしおです。

 

と思ったのも束の間、

 

「いや待てよ。そもそも好きだったから、スカートめくりやズボン下ろしをしてたんじゃないのか」

「いや待て。ガキではあったがガキのパンツにもケツにも興味なんか無かったはずだ」

「じゃあ先生は?先生のケツは?」

「うーん・・・興味無かった・・・と思うんだけどなあ・・・」

「じゃあ、先生たちがローテーションでガードをするくらい「しんくん対策」をしていたのに、なぜ必死に覗きを敢行していた?」

 

という「鶏が先か、卵か先か」みたいな、「嗜好と体験のどちらが先か」の自問自答の迷子になった挙句、

「哲学者は答えを出すことではなく、考えるのが仕事、とも言うしな」

という放り投げに、哲学者なんかに1ミリもカスっていない僕は落ち着いてしまうのです。

 

何はともあれ、現在の僕は「女性のものなら何でも好き」というカマトト丸出しの隠居な平和主義に落ち着いてしまったのですが、これを当時の僕に聞かれたら

「二択っつったろ!」

と叱られそうなところではあります。

 

しかし「鶏が先か、卵が先か」の答えの出ない熟考同様、考えるだけでも「振り返り」には一定の意義がある、と思うのはちょっと乱暴でしょうか。

 

まあいいや。答えが出たところで「現在」に活かせないタイプの振り返りだし。

そう、大事なのは「今」。

 

どうせ似たような下品な記憶しか出てこないことでもあろうし、小学校以降のプロフィール紹介は、とりあえずやめておきます。