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DubLog

     

正義について

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YES!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

僕の叫び声に何事かと驚いたゲイが自分の部屋から、クロアチア人がダイニングから、ウェイティングルームへ駆けつけました。

僕はまたサッカーを観ていました。

 

学習目的でなくエンジョイ目的で入れ込んでしまった一人でのサッカー観戦時は、ゲイなんかよりもよっぽど僕の方が行儀が悪く、画面に向かって暴言と同時にあれこれとクレームを付けます。

 

「もう2ステップダウン!」「もう15度外向き!」「ラインが低い!」「なぜプルバックじゃない!」「なぜたたまない!」「たたまないならなぜWGボックスを使わない!」「クソ監督!」「クソレフリー!」・・・挙げればキリがありません。

 

日常会話ではほぼ使わないFワードをこれでもかというくらい乱発する様は自分でも嫌いになる不躾な態度ですが、今のところ“サッカーの時だけ”という免罪符を与えています。

 

さて、YES!!!!!!!!!!!!!!!!!と叫んだ時の状況ですが、1-1のまま試合終了を迎えようとしていたグループリーグ最終節、アイスランド対オーストリア戦のロスタイムにアイスランドが勝ち越しのゴールを挙げました。

同時刻、裏ではポルトガルとハンガリーの試合が3-3の同点のまま終わろうとしています。

 

結果から言うと結局ポルトガルは決勝トーナメントに進むのですが、公平性を欠いているように思えるUEFA EUROの独特の取り決めをきちんと理解していなかった僕は、グループリーグを未勝利のまま3位で終えるポルトガルはここで脱落だと思っていました。

 

それを伝えると

「何で?さっきまでおまえ、ポルトガルを応援してたじゃん」

とクロアチア人に言われたので、心変わりの経緯をものすごく興奮しながら説明しました。

 

僕は純粋にサッカー観戦を楽しむために、魅力的なチームに勝ち残ってほしいと思っています。

「魅力的」と一口に言っても、「魅力的な選手がいるチーム」と「魅力的な戦い方をする≒魅力的な監督がいるチーム」があります。

 

そしてこの「魅力的」の定義も少し難しいところであります。

長くなるので詳細は避けますが、強ければいいというものではありません。

いわゆるポゼッション信仰でもありません。

 

例えばイタリアは大会前からスペイン人すらも認めていた今大会の優勝候補の一つで、優秀な監督と優秀な選手がそろっているチームですが、魅力という点に関しては、個人的にはそのプレースタイルに疑問符を付けざるを得ません。

 

そこいくとウェールズは、突出した数人を除いて選手の能力は劣りますが、監督は優秀、かつ魅力的に映り、表記の上ではイタリアと同じ3-5-2のフォーメーションを採用しているもののシステムは異なり、そこに至った経緯はイタリアとは全く逆の事情があったように思え、選手の特徴を上手に活かそうという意図が感じられます。

 

「選手を活かす」と「選手に頼る」は似ているようで異なりますが、僕の考えではその後者の方であり、魅力的な選手はいるが監督には魅力を全く感じなかったのがポルトガルでありました。

 

とはいえ大会そのものをまともなレベルに維持させるにはポルトガルのようにある程度の水準に達しているチームが決勝トーナメントに残るのは必要に思え、ハンガリー戦では最初、ポルトガルの勝利を望んでいたのですが、得点されては追いつく展開の試合が3-3になった、後半もまだ残り時間がそこそこあったころ、チームの姿勢に変化が起こり、そこに監督の卑しい思惑が見えてきました。

 

そもそもこれはルール違反だと思っていたのですが、ポルトガルの監督が自分の選手にメモ書きを手渡し、歓声にかき消されるために声だけでは届かなかった、遠いサイドにいる選手にも自分の考えが伝わるように情報を送りました。

 

どちらにしてもマナー違反に映ったこの行為の詳細は明かされていないのでここからは憶測からの感想になりますが、きっと多くの人に「次の勝ち越しゴールを奪うためのフォーメーション変更などが書かれている」と最初は思われていたであろうメモは、おそらくは引き分けのまま終われば最低でも決勝トーナメントに進めるからリスクを侵さないように指示されていたと思われ、それを裏付けるかのようにそこから暫くの間の試合展開が一気に停滞しました。

 

「試合終了まで」ではなく「暫くの間」と言ったのは、腹が立った僕がチャンネルを変えて、アイスランドーオーストリア戦を観始めたからであります。

そしてこちらの試合が引き分け以外の結果に終われば、ポルトガルは未勝利のまま3位に沈み、決勝トーナメントに進めなくなる(と思い込んでいる)ので、どっちでもいいからゴールを挙げてくれ、と切に願っていました。

 

サッカーのルール変更の歴史などから紐解いた場合、「フットボールの正義」とは「攻撃的であること」だと僕は考えているので、例えば守備から計算したチーム作りに個人的には魅力を見出しにくくとも、しかしその守備に能動性、つまり積極性を持ったチームには、見ていて清々しいスポーツマンシップを感じます。

これはサッカーだけでなくスポーツや運動の本質が「積極的であること」だという個人的な考えからくるものでもあります。

 

比べてこの監督の行為からは、“どう戦うか”に関しては低い価値をみなし、結果のみを全てだとサッカーを扱い、ファンやサポーターの思いを無視して己の欲だけを求めた、スポーツマンシップどころか義を欠きジェントルマンシップまでも欠いた、非常に無様で醜いものを感じました。

 

別にサッカーの特徴や性質が特別素晴らしいというわけではなく、単にファンの絶対数が圧倒的に多いから、というだけの理由ですが、僕はサッカーを他のどのスポーツとも同じところにカテゴライズできない、「スポーツ以上の存在」であるという我が田に水を引いたような傲慢な考えを持っています。

 

つまりは他のどれと比べてもより近いところで実社会に影響を及ぼす可能性を秘めたこのスポーツのピッチ上において、「戦い方」よりも「結果」を重視した者が、あるいは自己中心的で傲慢な者が利益を得てしまうと、世の中にもよろしくない効果を及ぼしてしまうのではないか、というサッカーを過大評価した考えがあります。

 

しかも、たかだか大学サッカーの公式戦が終わるたび毎週のように矢吹丈みたいになっていた僕からしてみたら、国を代表するプレッシャーというものは想像すらつかないほどのものであろうし、また常に自分が追い求めているものを、そして周りが喜ぶことを貫き通すということは非常にタフなことであり、時にそれが非現実的なただの理想論に成り下がってしまうことも理解しています。

 

理解してはいるのですが、両チームが、特にポルトガルが急に消極的になってから僕がチャンネルを変えるまでの数分間、その音量から判断するにおそらく両方のサポーターから浴びせられていたのであろうブーイングのことを思うと、多数決がいつも正義であるとは限りませんが、あながち僕の考えは極論ではなくこれが民意であり、民主の矢印であるようにも思えてきます。

 

というわけで、興奮でまくし立てた説明の最後に

「This kinda f**king wanker! This f**king bastard should never have the f**king anything to do with the f**king any of football industry any f**king longer! For f**king good! FORF**KEVER!」

と、Fワードが不適当に多すぎて意味の伝わりにくい罵声で締めくくりました。

要約すれば「この手の人間はこの先二度とサッカーに関わるべきではない」です。

 

わかっています。僕は少し感情的になっています。

 

話はガラッと変わりますが、このところダブリナー達の話題をサッカーと二分しているものがあります。

イギリスのEU脱退です。

政治話には極力触れたくない僕も、たくさんの記事を読み漁り、EUの結成に至る背景や理念も含めて少し勉強し直しました。

 

経済やらイデオロギーやらに関するアレコレを色々と読み知った後に、それでも持った感想はシンプルにネガティブな「おまえらそれでも紳士淑女の大英帝国の民か」でした。

 

どんなに綺麗ごとをぬかそうが、どんなに正当化しようが、どんなにおまえらの思想を美化しようが、我々人類の、ただの集落以上の社会を持った我々人類の、動物との隔たりを示す目印は、服でも道具でも言葉でもなく「受容」であったはずだ。

 

異質に対する反射的な拒否反応は仕方ないとしよう。しかしそこを堪えてやせ我慢してみせるのが、無理してカッコつけてみせるのが我々の美徳ではなかったのか。

 

百歩譲ってその感情と思想と行動が自然であり本質であり本来であるとしよう。俺も周りを海に囲まれた国で生まれ育ったからその感情は理解できなくもない。こちらも何度も差別と区別を味わってきたから、そしてその中で人間の自然反応というものを何度も思い知ってきたから、何ならそこに幾分の道理も見える。

 

ただ、それだったら最初から仲間に入れてもらうんじゃない。そして仲間に入れてもらった以上、一人抜けするのは自分が一番抜けたくない、一番困難な時にするのが筋ってもんだろう。それが粋ってもんだろう。それが男ってもんだろう。淑女ってもんだろう。

 

かようにしてレイディーズもジェンツもいなくなってしまったかのような彼の国に勝手に思いを馳せたのですが、義を欠きジェントルマンシップを欠いたこの民意に、損得とプライドばかりが焦点となっていたこのイベントに、実際に人道支援に精力的だった女性議員が暴力の犠牲になってしまったこの一連の混沌に、戦争の経緯と似たようなものを感じていました。

 

わかっています。僕は少し感情的になっています。何なら悔し涙も堪えています。

 

話を一旦サッカーに戻します。

 

憎きポルトガルはユニークな大会ルールのために決勝トーナメントに進出し、フェアプレーとスポーツマンシップに富んだ我らの正義の味方、クロアチアと一回戦で対決することになりました。

 

そして我々善良な市民の思いも虚しく、延長戦までもつれ込んだ試合は0-1でのクロアチアの敗戦となってしまいました。

 

見慣れた光景ですが、この試合のデータだけを見ても反則をたくさん犯した者たちが歓喜の結果を手に入れたという、まるで現実社会を反映しているかのようなエンディングでした。

 

ただ、そもそも結果ではなく内容に重きを置くのであれば、下された結果に不平不満を述べるべきではありません。

というより、本当に内容を重視しているのであれば、そもそも不満を持ちません。

 

サッカーにおいての“結果”とは言うまでもなく試合の勝利であり、実社会のそれは利益とか権力とか名声、尊厳の獲得とかでしょうか。

そして“内容”とはサッカーにおいては戦い方や姿勢であり、現実社会においては「生き方」といったところでしょうか。

 

端的に言えば、勝ち負け(損得、自己のみの満足)だけを重視していたら負けた(損した)時に大きな落胆とストレスに見舞われるが、自分達(自分)のプレイスタイル(哲学、生き方)や姿勢を貫き通せば勝っても負けても(損得にかかわらず)そこに大きな充実感や喜びを見つけるはずである、ということです。

 

時に「貫き」には「周りに認められなくても」という条件も含まれますので、多少なりとも内向的な自画自賛に終始する恐れはありますが、それでもそれは損得勘定のできないかつての不良少年達が貫いた美学のようであり、鼻で笑うことは出来ません。

 

翻って、この二つの事案に対して当事国の人間でもない僕が持った感情は、実に他者を否定することに熱意を持った、勝ち負けの感情とよく似た、傲慢であり独善であり乱暴であり、押しつけがましいものでありました。

つまり充実感を持ち得るはずの、内容を重視している人の態度とは真逆であり、勝ち負けや自己のプライドに固執した、僕自身が嫌う者たちのそれでありました。

 

イギリスのEU脱退に戦争と似たものを見たと申しましたが、唯一この件の良かったところは言うまでもなく本物の戦争ではなかったことです。

戦争がぶつかり合いであることを考えると、彼らの意思表示にはそれと逆のベクトルすら感じます。

 

実際に承認されるまでには何年か掛かりそうなので、イギリスの年寄りどもが頭を冷やす時間にちょうどいい、と思っていたのですが、戦争や報復行為を起こす類の人間が独善的な正義に燃えていることが多いことを考えると、僕の方こそ頭を冷やす必要があります。

 

というわけで自分自身の戒めの意味も含めて、しかし趣旨はもちろん世界平和を願って、犠牲になってしまった女性議員の夫の声明をお借りしたいと思います。

 

・・・we all unite to fight against the hatred that killed her. Hate doesn’t have a creed, race or religion, it is poisonous.

(・・・私たちが一致団結をして彼女を殺した憎悪と闘うことだ。憎しみには信条も人種も宗教もない。ただ有毒なだけだ。)

 

 

やはり僕は感情的になっています。

 

 

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