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再び、若さの秘訣について

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「私の知り合いでね、50代のおばさんなんだけどね、他は若い子ばっかりの職場に転職してね、もう自分からどんどん積極的に若い子の輪に飛び込んで、仕事の後の飲み会とかも遠慮しないで参加しちゃうの。そうやってどんどんチャンスを掴んでいくんだって」 

 

何年か前に、自分は60代のおばあさんのくせに、母からこんな話を聞いたことがあります。

チャンスを掴む要因として「積極性」というキーファクターが有効であり重要であることは頷けます。

 

幸い、僕が欲しいチャンスは、若い子ばかりの飲み会には転がっていそうにないタイプのものなので、誘われてもいないテーブルに着く必要がなく、今のところは安心しています。

 

ところで僕はまあまあの童顔です。

よって外国人からはもちろんのこと、日本人からも見た目と実年齢のギャップに驚かれることがよくあります。

 

僕と同じように(嘘をそろえる - DubLog)相手が気を遣っていることを差し引いても、また、ほとんどの中年男子は自分の見た目が実年齢より若く見えると思っている、ということをいつか何かで聞いたことがありますが、これに鑑みたとしても、それでも僕は自分で自分のことを若いと思っています。

 

加えて物事が上手くいっている状況下ではもちろんのこと、上手くいっていない状況下でも、解釈を力ずくで自分の都合のいいようにねじ負けて自惚れる嫌いのある僕は、例えば「我々団塊ジュニア世代の大人というのは、我々親世代、つまりは団塊世代が我々と同じ年齢だった頃に比べて、大体その成熟度が7割程度にしか満ちていない、更には医学か科学の発展のおかげで団塊よりも団塊ジュニアの方が平均で10歳くらい長生きする、そして我が家は長生きの家系だからその平均より更に10歳長生きする、あと根拠は無いけど俺は個人的に更に10歳長生きする」と思っています。

 

というわけで「根拠があれば自信、根拠が無いからこそ自惚れ」という言い訳にもならない言い訳よろしく、分析と呼べない分析を寿命から逆算した結果の僕の「取り扱い年齢」は

実年齢40×0.7-(10+10+10)= -2歳

ということになります。

 

やったー!オレ若い!まだ生まれてもない!精子にすらなってない!

 

と、自惚れが行き過ぎたところで話を戻します。

 

以前の記事(若さを保つ秘訣 - DubLog)で、平日の公園でのシャドーボクシングに代表されるような、羞恥心を持たずにやりたいことを堂々とやる、という行為と感性そのものが若さを保つ秘訣の一つだ、と述べました。

他にも家族連れだらけの観光ビーチに一人で行き、おそらくは唯一の日本人のアラフォーが海上で本気バタフライをかます、などもあります。

 

掴めそうなチャンスは若い子たちの集まりには転がっていそうにないので、というより基本的に極端な出不精で怠惰な僕はダブリンに来て以来、一度も自分から誰かを誘って外に出かけたことも、学校後のちょっと一杯にも行ったことがないのですが、誘われた場合はほとんどの場合、週末のパーティーやデート、放課後のパブも含めて、断ることなく顔を出すことにしています。

 

ロンドンの時点でもそうでしたが、ここダブリンでも語学学校に通うような外国人は基本的には若い子ばかりで、40にもなって海外にわざわざ来るような人間はたいてい就労ビザを持って働いている、当局から見たら「きちんとしている」人達であって、まさか僕のようにビザ切り替えのための再入国の際に「3か月もダブリンで観光してたなんて嘘ついてんじゃねえよ」と一時間近くも止められるようなマヌケを味わったうえで、ビザのためだけに学校に通っているような暇な中年というのは希少なケースでありまして、したがって付き合いのほとんどは若い子ばかりになります。

 

僕がほとんど断らないものだから、クラスメイト達も「アイツは安パイ」と言わんばかりに、漏れなく全ての集まりに僕を誘います。

そして結局は若い子たちと一緒にいることそのものが、若さを保つまあまあの秘訣になっているのではないかと思っています。

 

僕が全ての誘いに対してOKしているのは、もちろん若さを保ちたいからなどという動機からではなく、基本的には誘いを断るのが苦手な、こういう時だけの“ノーと言えない日本人”らしさ(実は疲れているときは一応断りの意思を見せるものの、非常に押しの強いアルゼンチン人とスペイン人がいて結局は参加することになる)と、あとは何といっても根本的にはインプットに対して貧乏性なところがあるからだと思います。

 

この間の週末も「今日は疲れてるから早めに寝る」と言ったにもかかわらず、帰宅後、アルヘンティーノから「ピザとビール用意したから来いよ。おまえんちから俺んち、結構近いよ」と地図付きでメッセージが送られてきて、再三の親愛感を無下にできなかった僕は、結局くつろいでいたベッドから出て彼の家に向かいました。

 

彼の家に着いてから、男だらけの無味乾燥、無味無臭で平熱なビール大会が始まったのはいいのですが、夜も更けた頃に「他のクラスメイトも何人か既に集まっているから」ということで、今度はクラブに行こうと言い出します。

 

このタイミングで帰ろうとするも、もちろん当然のように阻まれ、どれも全然タイプじゃない数人のクラスメイトの女のコたちとハゲのスペイン人(もちろん男)が先に来ていた安っぽいクラブで、再びビールを飲むことになりました。

 

詳細は飛ばしますが、最終的にはアルコールにそれほど強くない僕が飲酒を断り出したところで、「女子からの強引なお願いなら飲むだろう」と判断したアルヘンティーノが、もともと一つのグラスを僕とシェアしていた、僕の年齢の半分しかないイタリアーナに入れ知恵して「私もここまで飲んだんだから、アンタも同じ量を飲め」スタイルで僕に飲酒の強要をしてきました。

アルヘンティーノの入れ知恵であるということが僕にバレたのは、結局は僕より先に潰れることになるイタリアーナが、後に暴露したからであります。

 

ちなみにここアイルランドを含めた海外の多くの国では、クラブではもちろんのこと、パブでも飲酒している間につまみを食するという習慣が基本的にはありません。

食事を注文するときは、“酒が進むように”ではなく“お腹がすいたから”食う、という心意気です。

 

実は僕は30代の頃、いい年して急性アルコール中毒で病院に運ばれたことがあり、以来、常に気分的にはブレーキをかけながらの飲み方になっているので、飲酒量が増えると、酔うよりも先に吐き気を催してしまいます。

 

酒というものはみんな吐くまで飲むのが普通、逆に吐くまで飲まなかったらもったいない、と思っていた子供の頃ならともかく、さすがにこの年になってダブリンのきったねえクラブのきったねえ便所で吐くのはどうかと思い、かといって親子ほど年の離れた少女の頼みを断るような意志の強さも持っておらず(この時点では彼女の純粋なお願いだと思っている)、頑張ってイタリアーナのお願い分を飲み干した後、西洋人のようにアルコールを消化する能力に長けていない我がアジア仕様の内臓を恨めしながら、ならばせめて発汗と喉の渇きを、とフロアで踊り出しました。

 

これが功を奏して、その後の飲酒は喉の渇きに反比例するように不快感がなくなり、調子に乗って何パイントも注文してくるイタリアーナを先に潰し、アルヘンティーノに関しては潰れた上に先に一人で家に帰り(後日判明)、調子に乗って別の酒を僕に進めてくるスペイン人のさかずきは「踊っているから邪魔」というジェスチャーで上手くかわし、みんなで踊っているときに、ハゲの方のスペイン人が思いのほか踊りが上手い、という別にどうでもいいことも分かり、僕個人に関しては実に平和なものとなりました。

 

終わりかけ、半目ですっかりまどろみ始めたイタリアーナを横目に踊りながら、しかしこの「若いコに舐められている感≒威厳の無さ」は一体どうしたものだろう、という自戒と、年上を敬う文化の無い西洋人だしな、という大ざっぱでまあまあ間違いのある言い訳が頭をよぎったりもしましたが、よくよく考えるとこの若者にあまり尊敬されない関係性に関しては、日本にいる時にもよく同じことが起きていたので、これはもう僕個人の人徳、と諦めるしかありません。

人徳の使い方、おそらく間違っていますが。

 

そもそも、他人のことを責められたものではなく、僕自身も若いころから、したり顔で説教をする年寄りの鬱陶しさに

「そういうおまえだってまだ一回目の人生を生きてるとこじゃねえか。何が分かるってんだよ。分かったつもりになってるだけだろ」

と、言うなれば「おまえの年齢がどれだけいっていようが、どれほどの人生経験をしていようが、おまえが生きている限り俺と同期、俺とタメ」という心意気で構えていました。

 

これに倣えば今現在の僕も二十歳のイタリアーナとタメでありますし、更には先の分析結果を有効とするならば僕の年齢は-2歳なので、おそらくは20歳を普通に20歳として生きている彼女から、ひょっとしたら年下という扱いを受けたとしても多少は我慢してやるべきかもしれません。

 

と、どうにもならないアホなところまで酔いが回ったところでその夜はお開きになりましたが、二時間ノンストップのダンシングがたたって、翌々日の夕方から激しい筋肉痛と気だるさに襲われ、月曜日が祝日のため3連休であったのにもかかわらず、僕は週初めの火曜日も学校をさぼり、僕のことが大好きな例のアルヘンティーノとエスパニョールから

「何があった?クラス中が心配しているぞ」

という、7:3でおそらくは心配ではなく、またもやからかいの方であるメッセージが携帯に届きました。

 

若い若いと言っているのは他ならぬ僕自身ですが、この肉体的老いさらばえ方の酷さに鑑みると、どうも僕の「若さ」は悪いとこ取りのような気がします。

 

というわけで「若さの秘訣」に関しての話ではありましたが、そもそも若いことが良いことであるとかは、一言も言っていません。