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マイノリティーの本領

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先日、FAI(アイルランドサッカー協会)からメールが届きました。

僕が志願していたUEFA(欧州サッカー連盟)の指導者資格コースの受講が叶わないという内容のものでした。

 

JFA(日本サッカー協会)の指導者資格を取得したのはかれこれ10年以上も前のことなので今とはだいぶ異なるかもしれませんが、ある程度のレベルの資格からJFAは受けるのが大変(実績やコネが必要)、しかし受講さえできれば欠席や提出物の遅れなどが無い限り(これはこれで大変な量らしいですが)落とされることは滅多に無いというものでした。

 

これに対し、現在僕が保持しているUEFA Bと呼ばれる資格のコースをイングランドで受講した時は、参加するためのハードルは低かったのですが、最終査定では9割くらいの受講者が追試に回され、中には3回目の追試でもまだ受からない「五浪生」なんて強者もいるくらいの、完全能力主義の環境でした。

 

よってレベルを一つ上げたとはいえ、そして国をアイルランドに変えたとはいえ、志願条件そのもののハードルも少し高くなっていることだし、そこさえクリアしときゃ参加までは叶うだろうと高をくくっていたら、最終選考を前に慇懃なメールが届きました。

倍率が高すぎでやはり経歴かコネでも無い限り、日本と同じように書類選考で落とされるみたいです。

 

そのことをチームの監督に伝えると、以前マンチェスター・ユナイテッドで若い世代を指導していた彼は、僕が今回受講希望したコースよりも更に一つ上、UEFAの中では最高峰のUEFA Proというライセンスコースに志願して2年連続で断られたという、マンチェスター時代の話をしてくれました。

 

詳細は省きますが、「キャリアを諦めて家族のことを考える時が来た」彼はそれをきっかけにアイルランドに帰国して今のセミプロチームの指導にあたることになります。

 

彼にとっても外国であるイングランドで思いが叶わなかったとき「そういうのって政治的なものだから」と彼は受け入れたらしいのですが、だから同じ立場の僕にも親身に接してくれているのでしょうか、そう言ったときの彼の表情にマイノリティーの寂しさのようなものを感じました。

 

とにもかくにも元々はそのコースの受講のために1年ちょっとの滞在を計画していたのですが、断られた今となっては、アイルランドにいる最大であり唯一の動機が無くなりました。

 

ところで観光目的の海外旅行をほとんどしない僕は、イギリスから日本に帰国する前に一カ月かけて世界中の友人を訪問してまわったことがあります。

 

北フランス、パリ(フランス)、バルセロナ、マドリード、カディス(スペイン)、ボゴタ、メデジン、カルタヘーナ(コロンビア)、サンパウロ、ロンドリーナ(ブラジル)で都合11人の、ロンドンで出会った友人との再会を果たすのですが、そもそもブラジルを再訪したのは、その数か月前にたまたまFacebook上で16年ぶりに繋がった友人に会えるかも、という期待もあってのことでした。

 

若い頃は、クロアチア・ザグレブ(日本ではキング・カズが一時期所属していたことでも知られているチーム)でも助っ人外国人として活躍していたくらい優秀だった彼は、その訪問時、35歳でもまだブラジル国内で現役のプロサッカー選手をしていて、遠い地方でのトーナメント戦に勝ち続けていたため再会が叶わないことが、残念ながら僕がブラジルに到着した後に分かったのですが、その代わりに彼は有益な情報を僕にくれました。

 

僕と最も仲が良かったチームメイトの一人が、僕らが住んでいた町に今でも住んでいるというものです。

ちなみにそのチームメイトとはドアを開けっぱなしで便をする彼のことです。

自然、この上なく不便で堂々としたもの 1 - Dub Log

 

思いがけない情報に興奮して食い入るように更なる情報を彼に求めましたが、彼が知っていたのは

だいぶ前に結婚した

現役は引退した

ちなみに俺らがいたクラブは破産した

くらいのもので、肝心の連絡先は何一つ知らないとのことでした。

 

「じゃあどうやってアイツに会うんだよ」と問うと「道で誰かに聞け」とのこと。

言われたとおり長距離バスのチケットだけ買って、バンデイランチスという名前のその町に16年ぶりに訪れました。

 

バスから降りたってからは実際に通りですれ違う人全員に

「ジェアン・カルロ・カメウレンゴ(友人のフルネーム)、知ってる?今、33か34歳。15年位前、ウニアォン(チーム名)でプレイしてたヤツ」

とアホみたいに尋ねましたが、そもそも人が少ない田舎町で、その日は日曜日で、しかもブラジルでは父の日だったため親孝行で遠出している家族も多いらしく、そのため通りには人が少なかったので、まず聞き込みの絶対数が足りません。

 

ただ初日はこんなふうに徒労に終わったものの、元々この情報をくれた方の友人が、彼のアミーゴである町の有力者を僕に寄越してくれて、そのアミーゴの色々な助けがあったおかげで、最終的には目的の友人、ジェアンとの16年ぶりの再会が叶います。

 

翌日、ジェアンを乗せた有力者のアミーゴの車が通りを歩いていた僕を追い越して、その車が停まった途端、ジェアンは破顔しながら僕の名前を、憶えていたことをアピールしたかったのでしょう、フルネームで叫びました。

それに応えるように僕も彼の名前をフルネームで呼んで、車から降りてきた彼と大興奮でハグをかわします。

しかし興奮冷めやまぬ彼の二言目は

「おまえのスニーカー、相変わらず汚ねえのな」

でした。

 

アポ無しの再会にお互いあまり変わっていない見た目を懐かしみ、町を離れるまでの1日半を理容師に鞍替えした彼のお店と、結婚して子供が3人いる彼の家でずっと一緒に過ごしたのですが、凄いものでサンパウロとロンドリーナであれほど会話に苦労したポルトガル語も、彼だけは僕が理解できる単語と言い回しで話し、彼だけが僕のポルトガル語を完璧に理解しました。

 

その安さのせいか彼の人柄のおかげか、平日でも客間の絶えない理髪店のソファーに寝そべりながら、鏡越しに近況報告や昔話で盛り上がったのですが、その1か月の全ての訪問先で友人から言われた「また戻ってこいよ」の代わりに、彼は

「おまえ、もうここに住めよ」

と言いました。

 

ちなみにその数年後、ケンカして追い出されはしたけど、結局仲のいい祖父が一人で施設に住む宮崎に会いに行ったとき、彼も同じように

「おまえ、宮崎に住んだら?」

と言っていました。

世界でモテる男になるための暗記事項 - Dub Log

 

人間というのは、自分の生き方や人生そのものを肯定したい生き物だから、自分の器の外に生息する何者かを見つけたとき、その手順や歴史を嫉妬交じりに否定したがるのは、ひょっとしたら防衛本能の類のものが起因しているのかもしれません。

 

疾走感や充実感に中毒症だった僕は、超が付くほどの寒がりでブラジルや宮崎の穏やかな気候やその他諸々を羨ましがっていたにもかかわらず、そののどかな暮らしとやらを受け入れがたくもあった、柔軟性に欠ける頑固者で、挨拶代わりとは言えそのオファーを、やはり挨拶のように断ってしまいましたが、人が住むところを決めるのも仕事を変えるのも、生き方をアレンジするのもホントはこれくらい気楽でいいんじゃないだろうか、と思うことがあります。

 

そして理由となった人や何かが仮に自分を裏切ったとしてもそれらに依存することなく手放してあげて、きっかけをくれたことのみを感謝したいとも思います。

 

よってUEFAは僕を呼んだ友人でもないしアイルランドは住みたかった暖かい国でもないけれど、これも何かのきっかけと考えて、受講できなかったら即帰国の予定を変えて、肩の力を抜きながらしばらくここに住むのもいいかな、とも思い始めています。

 

今帰国しても日本のプレシーズンはとっくに始まっていてチームへの参加が中途半端になるし、元マンUの経験豊富な監督からもまだまだ学べることがたくさんあるし、講習を受けないため余った時間で何か新しいことをするチャンスかもしれないし、きっとこれも何かの縁でしょう。

まあ、ビザの変更が上手くいけばの話ですが。

 

思えば僕は最初のブラジル滞在からの帰国する二十歳の時、プロサッカー選手になるという夢をあきらめ、金輪際サッカーに関わるのはやめようと思っていました。

実際帰国後の1年近くはボールにすら触らなかったくらい悲劇のヒロイズムに浸っていたのですが、その時の悲観の内容が

「積み上げたものが一つも無い」

という感じのものでした。

 

高校卒業後に工場の夜勤で貯めた貯金は留学で使ったのでもう無い。

夢も無い。

学歴も無い。

この一年間で築き上げた人間関係ももう無い。

(まさか後に発明されるSNSの恩恵を受けて16年後に再訪するとは思っていない)

 

しかし夜勤労働の期間も含めて計2年の、ブランクというかビハインドのようなものと、帰国は6月だったのですが、日本での生活のスタートが4月でも1月でもないそのチンケなズレに、一方で自由を感じていました。

 

「レールの敷かれた人生」というとネガティブな響きの方を強く感じますが特にそういった他意は無く、レールの上側の、特に当時は圧倒的多数だった人たちとの、たった数年のスペースとたった数カ月のギャップに、なんというか「広がり」みたいなものを感じていたのです。

 

実に青二才らしい自己陶酔の類の話だということは分かっているのですが、同時にこんな些細なことが僕のような楽天家には大きな財産になっていることも認めています。

 

結局のところ他の人生は全うしたことが無いから自己肯定にすぎませんが、そもそも人生というのは一生しか生きられないところが、人生最大の妙の一つではないでしょうか。

 

ちなみに、ダブリンでの数少ない友人の一人と初めて飲んだ時、4年前のブラジル再訪の話をその友人に聞かせました。

まだ英語ででしか話したことのない彼は、日本人の父親とドイツ人の母親を持つハーフで、短歌が趣味という文科系男子でもあります。

 

その彼が僕の話を聞き終えると、コースターを片手に目を閉じて何やら考え始めました。

 

そしておもむろにペンを走らせ、コースターの白いスペースに一首、詠みました。

 

また来いと

この街に住む

人ら言ふ

友のみ一人

こゝに住めよと

 

新たにこんな魅力的な友人に出会えたのも、やはりアイルランドに来たおかげだと楽観してしまいます。

 

 

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