鶴をほどく
例えば、日本のペットボトルについてくるフィギュアや缶コーヒーのおまけのミニカーなど、僕はあの手の小物が好きでもあり苦手でもあります。
我が家の教育方針だったのか、部活後の食事にのみ費やされる、高校時代の小遣い以外は金銭を与えられなかったのと、子供の頃からオモチャというものを買ってもらえなかったその反動からなのか、フィギュアやミニカーのようなものに心くすぐられるのが、おそらくは好きな理由であり、片付けが面倒くさい、が苦手な理由であります。
先日、とある理由から折り紙の鶴を折る練習をしました。
普段は即リサイクルボックス行きになる、学校で配られたプリントを正方形に千切って、幾羽かの芸術をしたためながら、日本人の美意識と発想に改めて感心、感嘆していました。
が、問題は折った後、掃除の邪魔になるという理由で結局は捨てることになるドリンクのおまけ同様、積み重ねや並べそろえの難しい立体幾何学的なそれらの処分に少し困り、とりあえずは折った鶴をもう一度平らに、ただのプリントに戻すことにしました。
なんだか下山のような感覚です。
下山と言えば思い出す本があります。
プロサッカー選手になるという夢を“終えるための闘い”にある程度位置づけられていた、しかし足掻いてもいた20歳の頃、ブラジルで読んだ本でした。(働くということについて - DubLog)
その本の著者によれば、ルネッサンスに代表されるヨーロッパの芸術史や文化史から紐解くと、その国の国力(軍事力)が衰退に向かっているときにこそ、文化というものが栄えてきたそうです。
人間個体もこれと同じで、何かに向かって必死に上り詰めているときより、達成した後、あるいは諦めた後、その山を下るときの方が、自分の足元や周りの景色の美しさに気付き、感受し、個人の文化が栄える、というようなことを言っていました。
これを読んだ時点ではまだ完全に諦めていたわけでもなかった僕は、何よりもたかだか20歳だった僕は、
「いや、俺はきちんと足元を見ながら、周りの風景を楽しみながら、尚かつ登っていく」
という、だから叶えることも諦めることも出来ない、中途半端な我がままを、勘違いした胸中の決意のように毒づきました。
40は二度目のハタチだったか(二度あること - DubLog)、現在の自分を省みると、あの頃の悪癖が抜けていないような、繰り返しているような、が実は少し種類の違う感情に陥っています。
「定年後の生活ってこんな感じかな」
と、主に虚無感などのあまり好きではない方の感情が芽生えたときに、これも予行練習、あるいはソフトランディング、などと悠長なポジティブシンキングを用いていますが、自分にとっての定年が何歳なのかは置いといて、現在の実際がおそらくは定年後のそれと大きく違うのは、山を下っていないところにあります。
翻って、曲がりなりにも足掻いていたハタチの頃の自分とやはり異なるのは、山を登っていないところにあります。
つまり今の僕は上下も前後もせず、一つのところに滞ったまま、他人の人生をぼんやりと眺めているような状況であります。
例の計算によれば(再び、若さの秘訣について - DubLog)、この先70年くらいの余生が残されているという段階で、です。
元々は春先にFAI(アイルランドサッカー協会)から、望んでいた資格コースの受講不可の通知が届いて以来、早くに帰国しすぎた感のあるペルー時代の反省も込みで、あるいはワーカホリック気味の自身のこれまでを省みる意味も含めて、「休憩期間」のようにこの数カ月を過ごしてきたわけですが、数カ月を要するまでもなく気付いていることがあります。
僕は、それこそスポーツ報道やドラマに必ずと言っていいほど採用される、苦悩、挫折、犠牲、あるいは非行といったネガティブなものと“成功”が一セットにパッケージ化されている報道様式及びそれを望む日本人の国民性に、一億総ブラックなる躾の悪さのようなものを感じていますが、かと言って「人生、勝ち負けじゃないんだよ」という悟っているかのような態度も好きではありません。
歯を食いしばって勝利にのみこだわるファシズムのような、あるいは軍隊のようなスポーツチームは嫌いで、優れた武道家のように余力を持ちながら、そして戦い方にこだわるチームが好きですが、かと言って勝利に対する努力を怠っていいというわけではありません。
僕は指導の現場において、根性論をよく口にします。
承認欲求や自己顕示欲などにおける人間のはしたなさや、強欲で行き過ぎた利己主義を嫌う一方、整理整頓された主張の無い人間をつまらないと思ってしまう傾向が僕にはあります。
まるでどっちつかずのようであり、無いものねだりのようであり、あるいは批判家体質の揚げ足取りのようでもありますが、自分自身の好き嫌いは分かっているので、結局のところは着地点が初めから決まっている、思考のための思考みたいなものです。
昔の週刊少年ジャンプのような夢とか友情とかいった暑苦しさが実は好きであり、チャイムがなっても帰ることができない子供のような不躾がやはり好きであります。
疾走感や充実感の欠乏症に、または中毒症に、結局は侵されているということです。
これは自分の歴史がどうとかいうよりも、細胞レベルの根っこのようなものであるような気も最近はしています。
そして一方で、これまでの数カ月が、仕事に打ち込んできた“お父さん”たちが定年を迎え、自殺を選択してしまうのも、夫源病の供給元になってしまうのも、こんなものではないのでしょうが、ほんの少しだけ、その表面くらいは触れられたような、貴重な経験になったと思っています。
本物の定年を迎えた時の危機回避のある程度の学習、及びクッションになったのではないでしょうか。
などということを思いながら、折り紙の鶴をほどきました。
ほどかれた3、4体の芸術は、平らげられた正方形の肌に、今度は平面幾何学の、やはりアートな線群を記していました。
それらを眺め、頬を緩めます。
折り目の結晶を作るためには、まず折らなくてはいけない。
などという当たり前のことを、もう何度目なのか、再確認をし、頬を緩めます。
そしてそれらを捨てます。